バブル崩壊の2000年代の「金融緩和」を振り返る
2019.11.30
写真:Shutterstock.com
1990年前後のバブル崩壊以降、日本が初めて好景気を経験したのが、2000年の小泉政権の時期です。その期間に日銀総裁をつとめ、量的金融緩和政策を進めていたのが、福井俊彦氏でした。
29日付日経新聞は、福井氏の口述回顧を紹介し、「量的緩和後の利上げが不十分だった」などとの発言を紹介しています。
福井氏の経験に基づき、日銀の緩和策について「教訓を学ぶべき」との指摘もなされています。当時はどのような状況だったのでしょうか。
久々の金融緩和が続いていた時期
バブル崩壊後、1990年以降、10年近く金融引き締めが続いていました。日銀の政策によって、銀行が貸し出せる資金の量が減って不動産取引の抑制につながり、バブルが崩壊。銀行が企業に貸した資金を引き揚げる「貸しはがし」や、融資を渋る「貸し渋り」が行われ、景気は低迷し続けました。この間、経済成長は伸び悩んでいます。
そこが方向転換したのが、98年に就任した速水優総裁の時です。IT産業の発展が見込まれていた2000年8月に、ゼロ金利を決定。これにより、お金の貸し出しが活発になり「デフレ懸念の払しょくが展望できる」としたのです。デフレを克服し、モノの値段が上がり、賃金が上がっていけば、経済成長につながる、と判断したためです。
その後、日本経済は好調となり、日経平均株価も2万円を超えていました。ところが、IT景気が「はじけた」後、株価は下落し、景気は後退していきました。
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