幸福の科学 総本山・那須精舎。
雄大な那須連山のふもとに位置する、幸福の科学の4番目の総本山。境内地に霊園「来世幸福園」や「幸福の科学学園」を擁し、国内外から参拝者が訪れる。
本欄では4回にわたり、「お彼岸」「供養」「お墓」「お葬式」のスピリチュアルな真相について、幸福の科学総本山・那須精舎の境内地にある霊園・来世幸福園の法要担当者の方にお話を伺っていきます。
2回目のテーマは、お彼岸やお盆に行われる「供養」の意味。どうやら、一般的に考えられている単なる儀式としての「先祖供養」には、思わぬ盲点がありそうです。
Q.「供養」とは、どういう意味なのでしょうか?
A.「供養」とは、一言で言えば「過去に生きた故人の霊を救済する」という意味です。成仏していない先祖が居る場合、その霊が地上の私たちにつきまとって、家族や友人知人に、病気や怪我などの不幸、つまり「障(さわ)り」を起こすことが往々にしてあります。そうした先祖に、成仏してもらうことが、「供養」の目的です。
Q.どうすれば、故人を成仏させる「供養」ができるのでしょうか。
A.最も大事なことは、まずは自分自身が、地獄に落ちない生き方をすることです。天国に還るには、「神仏への信仰を心がけること、他の人々を幸福にしようと生きること」が必要です。そうした姿を、私たち自身が見せて初めて、先祖の霊も、生前の行いを反省し始めます。それが、成仏するきかっけになるのです。
Q.逆に、「悪い供養」の例などがあればお教えてください。
A.確かに、先祖の霊が成仏せずに、事故や病気などの不幸が起きることはあります。しかし、自分の不幸を、先祖が迷っているせいだけにしたり、「供養の儀式さえすれば、先祖が悪さをしない」などと考えたりするのは間違いです。
私たちが「儀式的に供養さえすれば先祖が成仏できる」と考えていると、うかばれていない先祖も、「子孫の供養が足りないから地獄にいて苦しいのだ」と勘違いしてしまいます。しかし、地獄に堕ちたのは自分の責任です。先祖は反省できず、成仏できる日は遠のくことになります。また、先祖を「神仏」のように拝み、願い事をすることも間違いです。
「人に反省してもらいたければ、まずは自分が手本を見せる」「不幸を他人のせいにしているうちは、幸福になれない」。これらは、地上での人間関係にもあてはまりまる真理です。「終活」を考えるにあたって最も大事なことは、こうした生き方を見直して、供養される側にならないことかもしれません。
次回は、「お墓のスピリチュアルな真相」について聞いていきます。
【関連サイト】
来世幸福園公式サイト
http://raise-nasu.kofuku-no-kagaku.or.jp/
来世幸福セレモニー株式会社
【関連書籍】
幸福の科学出版 『エクソシスト概論』 大川隆法著
http://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=1223
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2013年4月号 仏教入門 - 七大宗派が初めてわかる (1)
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2011年11月号記事 誤解だらけの慰霊・鎮魂─震災犠牲者の霊は今どうなっているのか?
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