2014年10月号記事

編集長コラム

安倍首相、文科省による「学問の自由」侵害を放置しますか?

それぞれの時代に「新しい学問」は生まれる。同時にそれを潰す反動も起きる。中世のガリレオ裁判はその典型だ。地動説を唱えたガリレオ・ガリレイは、カトリック教会による異端審問で地動説を捨てさせられた。

一般に異端審問は、伝統的な宗教が先進的な科学者を迫害したと理解されている。しかし実はガリレオは知識層に当時広がったヘルメス思想の影響下にあり、 異端審問は「古い宗教思想」と「新しい神秘思想」の対立だった。

神秘思想を母胎に近代科学は生まれた

占星術や錬金術などのヘルメス思想は、15世紀後半から17世紀にかけて知識人の主流思想だった。ガリレオ以前に地動説を提唱したポーランドのコペルニクスは、ヘルメス思想が徹底していた。著作『天球の回転について』では、ヘルメス文書からの引用を地動説の一つの根拠とした。

近代科学の先駆けのコペルニクスやガリレオの天文学や物理学は、中世の魔術的な神秘思想を遠ざけたわけではない。むしろ“魔術"を母胎に生まれたのだった。

17世紀後半に活躍したニュートンは「近代科学の父」と称される一方、「魔術師」でもあったことは有名だ。実際、ニュートンの研究の大半は錬金術など「オカルト研究」が占め、そこから近代力学が生まれた。そのため、ニュートンが万有引力を発表した際は、「オカルト・フォースだ」と強い批判を浴びた。

18世紀になると、デカルト的な物心二元論や機械論的世界観が主流となり、ヘルメス思想は下火となった。結果、ニュートンのオカルト研究は葬られ、目に見えるニュートン力学のみが生き残った。

異端審問は神秘思想家を火あぶりにした

異端審問を受けるガリレオ。ガリレオも当時主流となったヘルメス思想の影響を受けており、伝統的な宗教と新しい神秘思想の対立が背景にあった。

「新しい神秘思想」を葬ったという意味では、中世カトリックの異端審問所は何百年とかかってその目的を果たしたのかもしれない。

中世の異端審問所が禁止した思想は、聖書の独自解釈(プロテスタント)と、ヘルメス思想などの神秘思想だった。著作物は常に検閲を受け、この物差しに反する主張や学説があれば、本人が捨て去らない限り火あぶりにされた。

ガリレオは地動説を取り下げたため、死刑は免れ、終身刑となった。その判決から350年経った1992年、ローマ教皇はガリレオ裁判は誤りだったと認め、謝罪した。

ヘルメス思想から生み出されたにもかかわらず、異端審問や人々の無理解によって「神秘」をそぎ落としたのが近代の学問だと言える。宗教や「神秘」を否定的に扱う今の学問は、この延長上にある。

幸福の科学による「新しい神秘思想」

しかし、 学問の本来の使命は「真理の探究」にある。人類が解明しきれていない領域があるなら、当然、学問の対象とすべきだろう。

大川隆法・幸福の科学総裁はこの3年半余りで計500人以上のあの世の霊を呼び、「霊言」を収録してきた。釈尊の六大神通力以上の霊的能力で霊の考えを聞き、「どんな人生を生きたら、天国または地獄に行くのか」という善悪を検証している。

「学問の祖」とされる古代ギリシャのソクラテスも霊的能力を持ち、「ダイモン」という名の守護霊と話し、魂が体外離脱してあの世に行っている間、数日立ち尽くしたこともあった。その思想を弟子のプラトンがまとめ、「この世での生き方が善か悪かによって死後の行先が違う」ことなどを明らかにした。

大川総裁は霊界探究と同時に、政治や経済、経営、教育などあらゆる分野で真理を探究し、それが1600冊以上の書籍として結晶化している。それを学び、他の人々に伝える人たちの集まりが幸福の科学であり、学生が体系的に学ぶための場が幸福の科学大学(仮称・設置認可申請中)だ。

幸福の科学は、ソクラテスの時代やヘルメス思想隆盛期のような、「新しい神秘思想」の大きなうねりをつくり出している。

文科省は異端審問の誤りを繰り返す?

文部科学省の大学設置審議会は、「幸福の科学教学は学問とは言えない」と指摘しているようだ。既存の学会の中で、既存の学者による厳しい検証作業を経ていない、というのだ。

ところが審議会委員の学者の方々は、審査にあたって大川総裁の主要な著作に目を通さないという。ただ、学識と経験の豊かな学者であれば、一つの著作がどれだけ世の中の批判にもまれた上で練り上げられているかは一目瞭然だろう。

大川総裁の書籍は国内外に何百万人、何千万人の読者がいる。その中には各分野の専門家も存在する。それだけの読者を獲得し続けているということは、最初の著作発刊以来約30年にわたって「厳しい検証作業」に耐え続けてきたことを意味する。

審議会の委員が言う「学会での検証」はもちろん必要なものだが、「それを経なければ学問ではない」「だから大学で教えてはいけない」というのは、“象牙の塔"でのみ通用する狭い考え方と言わざるを得ない。

中世の異端審問も、カトリック教会が“内輪のルール"で決めたことが350年後に歴史的な誤りになった。それを繰り返さないためには、どうすればいいだろうか。

異端審問の反省から「学問の自由」が出てきた

クロムウェルによる清教徒革命で、信教の自由や学問の自由といった近代自由主義の原型ができた。この精神は日本国憲法にも盛り込まれている。

カトリック教会の異端審問やその後のプロテスタントとの宗教戦争の反省から、17世紀、「学問の自由」「信教の自由」の考え方が生まれた。

イギリスでは、国教会側によるプロテスタント弾圧に対し、クロムウェルが清教徒革命を起こし、近代自由主義の原型をつくった。クロムウェルは自身が実現すべきことの第一として「信仰告白の自由」を挙げ、現に実行した。そこから言論・出版・結社・学問の自由が派生していった。

国教会側による出版検閲に抵抗し、クロムウェルと行動を共にしたジョン・ミルトンは、無許可の著作『アレオパジティカ』で「検閲は学問と学者に対する最大の侮辱」と批判した。

ミルトンは検閲が中世の異端審問から始まったとして、その害悪を訴えた。その時点の少数派に神の真理が降りるかもしれず、「真理と真理を結合する」ことが必要だと強調した。

確かに、釈尊もソクラテスもイエス・キリストも最初は一人。「少数派」に対する寛容さを持ち保護しなければならない、というのが「学問の自由」「言論の自由」の核心だ。

人類の叡智をとるか内輪のルールをとるか

この精神は、イギリス名誉革命の政治哲学者ジョン・ロックの思想を通じてアメリカ憲法に盛り込まれ、さらに日本国憲法にも受け継がれている。

大学設置審議会はこの人類の叡智に則って、「新しい学問」「新しい神秘思想」に対する寛容の精神を保てるだろうか。 それとも、文科省や学会の“内輪のルール"によって「これは学問ではない。異端である」と宣言するのだろうか。

ことは憲法問題。文科省による「学問の自由」「信教の自由」の侵害を放置し続けるのかどうか、安倍晋三首相の判断にかかっている。

(綾織次郎)