自民党の尊厳死に関する検討プロジェクトチームはこのほど、いわゆる「尊厳死法案」の素案をまとめ、議員立法として国会に提出する見通しだ。
「尊厳死」とは、回復の見込みがなく、延命治療を止めれば亡くなる終末期患者が、自らの意志で治療を止めるよう要請すること。延命治療では、人工呼吸器の装着や、腹部に穴を開けて胃に直接栄養や薬品を投与する「胃ろう」などが行われる。大きな苦痛に耐えながら動くことも出来ず、「ただ生存している」という状況だ。こうした最期を不本意として、「自然に死んでいく」選択をする人が増えている。
「尊厳死法案」とは、「終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法案(仮称)」のこと。2人以上の医師が「終末期」だと認め、患者本人が尊厳死を望んだ場合、延命治療を中止した医師が、後から法的責任を問われないとするものだ。患者は尊厳死への意思撤回もできる。
もちろん尊厳死自体は、禁止されていない。それでもこうした法律が検討されているのは、本人や家族が尊厳死を望んでも、医師に拒否されるケースがあるからだ。本人も家族も尊厳死を望んでいたにも関わらず、チューブだらけになって苦しみながら延命させられるという「悲劇」が度々起こるという。
それは、医師自身に「死を敗北」とする考えがあり、治療をやめることに抵抗感があること、親類の中に尊厳死を認めない人がいて、後から訴訟を起こされるリスクがあるからだ。
一方、法制化には、「命の軽視につながる」「患者に尊厳死を選ぶように促す空気ができる」といった懸念の声もあり、議論は分かれている。いずれにせよ法制化への動きや、それをめぐる議論は、日本で「延命することは善」という考えが根強いことを示している。
「尊厳死」の本当の意味は、霊的真実を知ることで理解できる。人間の本質は魂であり、数十年の人生を生きるために一時期肉体に宿る。そして寿命が来れば肉体を脱ぎ捨てて、あの世に還っていく。「死」というのは家族にとっては悲しいことだが、その魂にとっては「来世への出発」に過ぎないのだ。
しかし、延命措置を受けたために末期の苦しみがあまり長引くと、死んだ後もその魂が「苦痛」を感じ続け、死後の旅立ちに支障が出ることがある。単に長生きすることが、魂の幸福ではない。「尊厳死」には、スムーズにあの世に移行するという意義があるのだ。そうならば、本人が尊厳死を望む場合、周囲も潔く"見送る"ことが愛なのではないか。
今回の法制化への動きをきかっけとして、こうした死生観に多くの人が思いをめぐらせてみるべきだろう。(光)
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2014年2月19日付本欄 ベルギー、安楽死の年齢制限撤廃へ 信仰に基づく正しい判断を
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2012年11月5日付本欄 尊厳死法案提出の動き 前提に霊的人生観が不可欠だ