(『不滅の法』第5章「救世の時は今」より抜粋・編集。2011年7月10日収録)
「普遍の真理」を信じることで、世界を一つに
私は、私と同時代に生きている人々のためだけに教えを説いているのではありません。後に来る人々のためにも教えを遺しています。また、いろいろな角度から、さまざまな論点について学んでほしくて、いろいろな法話を数多くしている次第です。
「世界の人口が、一億人から五億人、十億人、五十億人、七十億人、そして、やがては百億人へと増えていく」ということは、それだけ、たくさんの考え方が存在しうるようになることを意味します。
そうした大勢の人々に自由を与えるならば、それは、同時に、「さまざまな意見があって、まとまらない」ということにもなりかねません。
そうなると、民主主義の最大の特徴である、「多くの人々の意見を吸い上げて繁栄できる社会をつくれる」という思想が、人数が多すぎるために、混乱を持ちきたらすことにもなりかねないのです。そのまま放置すれば、民主主義政治の死がやってきます。その終わりがやってくると思います。
そうかといって、「七十億人の世界の人々が、軍事独裁的、一党独裁的な専制政治、独裁政治の下に置かれることが幸福か」と問われたら、「いや、そんなことは決してない」と言わざるをえないのです。
人々は自由でなければなりません。なぜならば、人間は神の子だからです。人間は神の子としての自由と尊さを保障されなければなりません。それが人権なるものの根拠です。
「基本的人権が大事だ」と言っても、「人間は、自分たちが定めた法律によって尊いのではない。この地上に偶然に生まれたから尊いわけではない。動物たちに比べて、道具が使えたり、発明ができたりするから尊いわけでもない」ということを知らなくてはならないのです。
人間は、神の子としての存在を許されているからこそ、尊いのです。人間は、その思いにおいて、創造をなし、世界をつくり変えていくことができます。その思いにおいて、未来に向けて歴史を創っていくことができるのです。これが、人間が神の子であることの証明なのです。
したがって、私は次のように述べたいと思います。
数多くの考え方をまとめなければいけません。しかし、それは、決して、この世における、専制的、独裁的、弾圧的なものであってはならないのです。
この地上を離れた世界においては、あの北極星のように、普遍の真理が輝いています。たとえ人類の手には届かなくとも、「確かなる北、真北はあちらである」ということを指し示すことが大事です。
そうした未知の世界にあるものではありますが、この地上を超えた尊い価値を信ずることによって、人々は、お互いの意見や思想、信条、人種、肌の色、言語の違いを超えて、一つにまとまることができるのです。