東日本大震災の発生から1年を迎え、全国各地で一周忌法要が営まれた。ある地方では、住職が法要の中で、江戸時代の農政家で、大飢饉の復興事業に尽力した二宮尊徳の言葉を引用。「心の荒れ地を開発できたら、現実の荒れ地が何万町歩あっても恐れるに足らない」と紹介したことが報じられた。

二宮尊徳(金次郎)と言えば、ひと昔前はどこの学校にも、薪を背負って本を読む像が立っていた。最も古い尊徳像は、大正13年、現在の愛知県豊橋市立前芝小学校に建てられたものだが、その頃から、地元住民や卒業生の寄付によって、全国の学校に尊徳像が次々と建てられていった。

しかし現在は、像が老朽化しても修復されずに撤去されることが多く、残っている学校の方が少なくなったという。2010年、神奈川県土地家屋調査士会が、県内の公立小学校約860校を調べたところ、尊徳像が残っていたのは140数校だったという。

尊徳像はその姿を通して、子供たちに、どのような境遇においても「勤勉」「努力」が大切さであり、それによって道を切り開いていくこと、それは時代が移り変わっても決して失ってはならない大切な徳目であることを教えている。それはまさに、資本主義の根幹である自助努力(セルフ・ヘルプ)の精神である。

戦後の焼け野原から、今日の日本の繁栄を築き上げた原動力は、日本人の勤勉さにあった。今後、日本が復活していくためには、日本人が「自助の精神」を取り戻さなければならない。そのためにも、全国の学校には尊徳像を復活させていくことは大事だ。

昨今、民主党のみならず、自民党の政治家までも、「増税」と口をそろえているが、重税を課す代わりに国が何でも面倒をみて、努力した者も怠けた者も結果が大して変わらない社会になってしまえば、真面目に努力する人は減り、国家はどんどん衰退していってしまうだろう。

日本人は、今こそ、努力が正当に報われる社会、二宮尊徳が示した資本主義の精神に学ぶべきだ。再び日本に繁栄をもたらすために、尊徳像を真っ先に立てるべきところは永田町ではないだろうか。(泰)

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2009年11月号記事 日本は「怠け者大国」に成り下がるのか?

http://www.the-liberty.com/article.php?item_id=896