ユングの過去世である弘法大師・空海(774~835年)を語る時に、触れなければいけないのは、最澄(767 ~822年)だろう(ユングの過去世 心の奥に広がる「光」を求めて - 新 過去世物語 人は生まれ変わる)。
今回は、平安時代を代表する宗教家、空海と最澄について見ていきたい。
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修行論のない教え。毒水の源泉は「悉皆成仏」
空海は主著『十住心論』で、まず、堕地獄の道と成仏の道の違いを説く。そして、その後に、人間の心境には十の段階があり、そのそれぞれの段階に応じた教え・修行論を説いている。
衆生には仏性(ぶっしょう。仏と同じ性質)が宿っているので、修行をすれば悟る可能性はあるが、誰もが釈尊の境地に到達できるわけではない。空海は「即身成仏(そくしんじょうぶつ)」を説きながらも、人が得られる悟りは修行相応のものだという「縁起の理法」を見落としてはいなかった。
こうした教えには、当時の時代背景が影響しているだろう。
同時代に活躍した最澄(さいちょう)は、人間には仏性があるから、みな仏様になれるという「悉皆成仏(しっかいじょうぶつ)」を説いたが、これに対し、南都仏教の碩学、大学者の徳一(とくいつ)が激しく批判した。
当時、仏教界は、「人間には、声聞(しょうもん)、縁覚(えんがく)、菩薩(ぼさつ)という三種類の性質を持った人間がいて、それぞれの修行の仕方が違う」という「三乗思想」を奉じる教派と、「それは方便であり、本当は、すべての人はみな仏になれる」という「一乗思想」を奉じる教派が激しい論争を繰り広げていた。
徳一は「三乗思想」の立場から、「一乗思想」の最澄を批判したが、それは的を射た指摘であった。
大川隆法・幸福の科学総裁は、この論争の文脈で、次のように指摘する。
「仏性はあっても、五割以上は地獄に堕ちているわけですから、それを救うのが宗教の使命です。もし、『仏性があるから、みな成仏できるのだ』と言ってしまったときには、宗教の使命はそこでなくなって、放棄したことになります」
「ここから修行論がなくなっていく流れが出てきて、現代の新宗教のなかでも、御利益宗教には、このように成仏を甘く解釈する思想がそうとう流れています。この毒水の源泉は『悉皆成仏』のところにあるのです」(『悟りの挑戦(下巻)』)
空海の「即身成仏」と、最澄の「天台本覚思想」との違い
こうした流れの中で、徳一は真言密教をも批判。「真言密教には、『行』と『慈悲』が欠けているという、彼の立場からの批判をしつつも、同時に即身成仏は実は不可能なのではないかとの手厳しい批判」を重ねた(『黄金の法』)。
そのため、空海は、自分の立場を丁寧に説明する必要があった。そこで、仏性の可能性を最大限に訴えながらも、縁起の理法に則った悟りの段階論を説いていく。最澄とは違い、空海は、差別観と平等観を統合した霊的な世界観を明かしていった。
「即身成仏論といっても、単純な天台本覚思想との違いは、空海の主著『秘密曼荼羅十住心論』において、『十住心』といって、人間の心の段階が十段階あり、そのそれぞれに対応する教えの段階があることを明らかにした点からも明らか」(前掲書)
空海は、既存の宗派も仏の悟りの境涯の一端を示す尊い教えと見ており、南都仏教と協調しながら教えを弘めることができた。奈良仏教界の頂点とも言える東大寺で別当(長官)を務めていたのは、その好例だろう。
最澄の天台本覚思想は、日本神道と親和性が高い
一方、最澄が唱えた、「誰もが仏になれる」という「悉皆成仏思想」や「天台本覚思想」について、大川総裁はこう指摘する。