2023年7月号記事
仏教はいかにして日本人に『地獄教育』を行ったのか
あの世の概念が不明瞭だった日本人に対する、仏教僧の「地獄教育」の歴史をたどる。
死後の審判は、必ずしも世界の全ての宗教で説かれているわけではない。日本神道もその一つである。
神道では、死後の魂の不滅は信じられているが、その魂はこの世に留まり、国や地域、家庭などで守り神となって生者とともに暮らすと考えられてきた。
神道における「他界」はこの世とそっくり
神々や霊魂が住む「他界」があると考えられているが、それは地下世界の黄泉の国、あるいは海の向こうや山の中など、現実世界の延長のようだ。そうした場所は、この世にはない理想世界として描かれることも、地獄のように描かれることもない。「他界」は人間が暮らしている現実世界と全く変わりがないのである。
つまり、「善人は天上界に行く」「閻魔大王の前に出されて審判を受け、地獄に堕ちる」というような仏教的な死後の世界観は、神道には存在しない。
仏教が日本人に地獄の実在を伝えた
曖昧な霊界観しか持たなかった日本において、仏教は、死後の審判や地獄の実在を説いてきた。
仏教学者の渡辺照宏は、仏教に出会う前の日本人は「比較的に単純な人生観、世界観に満足して」おり、「死後についてはただ暗いヨミの国ということを漠然と考えていたにすぎなかった」と指摘している。日本人は仏教を通して、「この世に行なった行為の善悪によって、来世の幸・不幸がきめられる」ことを知った。よきものが天上界に赴き、「悪いものは阿修羅・地獄・餓鬼・畜生の身に生まれて罪をつぐなわなければならない」ということを理解したのだという(*1)。
つまり、仏教は、いわば「地獄教育」を行い、真の霊界観を啓蒙してきたのである。
「地獄がない」という世界観では、「善因善果・悪因悪果」という因果応報の理が根付かず、善悪を分ける智慧を身に付けることもできない。
我々は、今こそ、歴史を振り返り、過去、仏教者が果たしてきた重要な役割を思い返す必要があるのではないだろうか。そのため、本記事では、日本人に「地獄の実在」を伝えた代表的な僧侶の活動を紹介してみたい。
(*1)渡辺照宏『仏教を知るために』(大法輪閣)
※文中や注の特に断りのない『 』は、いずれも大川隆法著、幸福の科学出版刊。
行基菩薩が弘めた「因果応報」
空海が説いた「堕地獄」と「信仰心の芽生え」
源信が伝えた「地獄のリアル」
草津赤鬼の地獄論