出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp)
現代の日本では、こうした論点が語られることは少ないが、世界を見渡せば、建築や音楽、小説や詩など、100年や1000年という単位で、長く残るものには、宗教的な価値観が反映されているものが多い。
本誌2023年3月号では、「芥川龍之介が見た『地獄』の真相」と題して、「蜘蛛の糸」や「杜子春」などの名作に込められた天才小説家の「はるかなる眼」に映じた魂の真実に迫ったが、芥川龍之介の作品には、「宗教的見識」が深まるものが多い。
今回は、神道、仏教、儒教、アニミズムなどがない交ぜになった「日本的宗教観」と「キリスト教」の弱点を見抜いていたことが分かる、短編「おしの」について見ていきたい。
なお、以下は、「おしの」の内容が分かる構成になっているため、初見で作品を楽しみたい方は、先にそちらを読んだ後に、この記事をご覧いただきたい。
武士の妻と外国人宣教師 問答の意外な結末
物語は、以下のように展開する。
舞台は、キリスト教が禁教になる前の日本──。
西洋人の神父が祈りを捧げる南蛮寺に、武士の夫を亡くし、十五歳になる息子の病に悩む「しの」が訪れる。これまでさまざまに手を尽くしてきたが、いずれの方法でも治らず、助けを求めに来たのだった。
神父は、彼女の言葉を聞いて、「女は霊魂の助かり(救済)ではなく、肉体の助かりを求めに来た」と直観するが、それを咎めず、これを機にキリストの教えを伝えようとする。
しかし、その会話はかみ合わない。
しのは、直接、神父に息子を診てもらうことを希望し、それでも治らなかった場合には、「清水寺(きよみずでら)の観世音菩薩の御冥護におすがり申すばかりでございます」と語ると、神父は「観音、釈迦、八幡、天神、──あなたがたの崇めるのは皆木や石の偶像です。まことの神、まことの天主は唯一人しか居られません」と憤る。
神父が怒る理由が分からないまま、しのは息子を助けたい一心で、ステンドグラスに描かれたイエスを見ながら、「せがれの命さえ助かりますれば、わたくしはあの磔仏(はりきぼとけ)に一生仕えるのもかまいません」と語る。
それを聞いた神父は、「今こそ伝道の時」と言わんばかりに、イエスの人生と十字架での死を説き、イエスが最期に語った言葉を口にする。
「エリ、エリ、ラマサバクタニ、──これを解けばわが神、わが神、何ぞ我を捨て給うや?……」
すると、しのの態度が一変。
戦場では死を恐れずに戦った亡き夫を引き合いに、「天主ともあろうに、たとい磔木にかけられたにせよ、かごとがましい(泣き言めいた)声を出すとは見下げ果てたやつでございます」と言い放ち、南蛮寺を立ち去ったのだった。
日本神道では「御利益がなければ神ではない」と考える
この作品では、武士の妻と外国人宣教師、両者の宗教観の違いが描かれている。
まず注目したいのは、「息子の命が救われるなら、イエスでも仏でも何にでもすがる」という、しのの考え方だ。
息子を想う彼女の心情は切なく胸に迫るものがあるが、そこには、人間が祈ったり何らかの布施をしたりすれば、神や仏という存在は御利益をくださるのではないか、という「現世利益」「御利益信仰」が潜んでいるようにも見えることは興味深い。
大川隆法・幸福の科学総裁は、こうした点について、次のように指摘する。
「日本神道では、昔から神と富とがかなり融合しています。『御利益がなければ神ではない。祈願をすれば、商売は繁盛し、健康で、家族が仲良くできて、とても幸福になる。これでこそ神である』と考えます。この思想が日本に深く根を下ろしているために、戦国時代以降、キリスト教が日本に入ってきても、なかなか広がりません。イエスについて、『その"西洋の神様"は、捕まって十字架にかかり、殺されたというのか。それでは、御利益がない。神なら戦で勝たなくてはいけない』と考えます」(『日本の繁栄は、絶対に揺るがない』)
しのの考え方は、このようなものに近いだろう。
福音書に書かれた最期のイエスの言葉は間違い
一方、「この女は魂の救済を求めていない」と見抜いた神父だったが、彼にもまた、一つの"誤り"があった。それは、彼が語った「エリ、エリ、レマ、サバクタニ(神よ、神よ、なんぞ、われを見捨てたまいしか)」という福音書の一節だ。
これを聞いたしのは、御利益信仰かと思いきや、死を目前にそんな情けないことを言う神に、息子を助けてもらいたいとは思わない、と言い放つ。
確かに、それは、福音書を読んだ時に、少なからぬ読者が感じる疑問でもあるだろう。その言葉は、死を覚悟してエルサレムに入城したイエスには、似つかわしくないからだ。
この点について、大川総裁はこう指摘する。
「イエスが死ぬときに、『なんぞ、われを見捨てたまいしか』と言ったというのは間違いであり、絶対にありえないことです。もしそれが事実ならば、イエスの説いたことが、全部、嘘になってしまいます。イエスも私と同じように、生前から天上界の霊たちと話をしていたので、そんなことは絶対にありえません。イエスは、『地上を去るべきときが来た。迎えに来なさい』と、エリヤやラファエルなどの天使たちを呼んでいたのです」(『現代のエクソシスト』)
神父自身は「純粋な信仰」を説き、しのの魂を救おうとしたが、福音書の限界につまずく。
さまざまな宗教の本質を描き出す芥川龍之介の作品には、読んでいくと、「宗教的見識」が深まるものが多いが、その背景には、"この世ならざるもの"の影響がある。
その秘密を解くキーワードは、「シャンバラ」だ。
シャンバラの詳述については、「あの偉人たちも足を踏み入れた── 幻の聖地シャンバラは実在した!」に譲るので、ぜひ、ご覧いただきたい。
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