HSU 未来産業学部プロフェッサー

志波 光晴

(しわ・みつはる)1957年、福岡県生まれ。神奈川大学経済学部経済学科卒業後、プラントメンテナンス会社、非破壊検査装置会社で働く中で理科系の研究者になることを決意。放送大学教養学部で理系分野を学び、東京大学先端科学技術研究センター研究生を経て、東京大学工学部より工学博士を取得。東京大学先端科学技術研究センター助手、(財)発電設備技術検査協会鶴見試験研究センター研究員、(独)物質・材料研究機構上席研究員を経て、2016年よりHSU未来産業学部プロフェッサー。専門は、材料工学、非破壊検査、信頼性評価。著書に「環境・エネルギー材料ハンドブック」(オーム社)など。

前回は、中世ヨーロッパへの錬金術の伝播経路とその後の歴史を概観しました(*1)。アラビアからヨーロッパへ、当時の最先端の文化と技術が翻訳を通じて導入された現象について、今日では「12世紀ルネサンス」とも呼ばれています(*2、*3)。

それは、イベリア半島とシチリアといった、イスラムの支配を経てキリスト教勢力に流れていった伝播経路と、ビザンツ帝国から北イタリアに流れていった伝播経路があったことを見てきました。

キリスト教世界で生じた東方(東ローマ帝国、ビザンツ帝国)の正教会と西方(西ローマ帝国)のカトリック教会による「聖像崇拝」争いが、13世紀初頭の第4回十字軍によるビザンツ帝国の首都コンスタンチノープル占領で決定的な対立(東西分裂)に発展する中で、北イタリアルートの伝播が起きました。

12世紀ルネサンス当初、錬金術は当時の知識人階級だった、西方のカトリック教会の修道院の聖職者によって研究されました。そして錬金術は、諸学問の一分野という位置づけでした。

今回は、14世紀イタリアの「ルネサンス以前のヨーロッパの錬金術」について、代表的な錬金術師を通して、アラビアの錬金術とキリスト教が融合する様子を見ていきましょう。


【参考文献】
(*1) 2020年10月4日付本欄 錬金術の歴史を振り返る-中世ヨーロッパの錬金術I-【HSU・志波光晴氏の連載「錬金術について」】
(*2) 澤井繁男著 『自然魔術師たちの饗宴』 第1刷、(2018)、春秋社、p28-29
(*3) 伊藤俊太郎著 『近代科学の源流』 再販、(2016)、中公文庫、p241-271