HSU 未来産業学部プロフェッサー

志波 光晴

プロフィール

(しわ・みつはる)1957年、福岡県生まれ。神奈川大学経済学部経済学科卒業後、プラントメンテナンス会社、非破壊検査装置会社で働く中で理科系の研究者を決意。放送大学教養学部で理科系を学び、東京大学先端科学技術研究センター研究生を経て、同大学工学部より工学博士を取得。同大学先端科学技術研究センター助手、(財)発電設備技術検査協会鶴見試験研究センター研究員、(独)物質・材料研究機構上席研究員を経て、2016年よりHSU未来産業学部プロフェッサー。専門は、材料工学、非破壊検査、信頼性評価。著書に「環境・エネルギー材料ハンドブック」(オーム社)など。

今回からは、一般に最もよく知られている「ヨーロッパの錬金術」に入っていきます。

これまでの連載では、「錬金術の発祥の地」とされたエジプトから、錬金術がどのように他の地域に伝わっていったかを見てきました。それは、錬金術が先端技術とされ、錬金術に関わる人と文献が当時の覇権国家に吸収されていった歴史でした。

ローマ帝国に支配され、キリスト教が国教化された4世紀のエジプトでは、錬金術師たちは異端として弾圧されたため、中東の地に亡命しました。そして、エジプトの錬金術とインド、中国といったシルクロードの錬金術が、ササン朝ペルシアからイスラム帝国に受け継がれることでアラビアにその中心が移り、10~11世紀にはイスラム科学が黄金時代を迎えます。

一方、この時期になると政治的にはアッバース朝が衰退しました。中東からアフリカ、ヨーロッパのイベリア半島まで広がっていたイスラム帝国はキリスト教国に奪還され、しだいに衰退が始まります。ヨーロッパのキリスト教国家は、14世紀のルネサンス(文芸復興)、16世紀の宗教革命、17世紀の市民革命、18世紀の産業革命と呼ばれる社会変遷を経ながら、イギリスに代表される覇権国家への道を辿りました。

それらの流れの源流として、12世紀の中世ヨーロッパにおいて、錬金術はイスラム帝国からキリスト教王国(中世ヨーロッパ)へ、主にアラビア語の文献のラテン語訳を通じて流れ込みます。これは、14世紀のイタリアから始まる有名なルネサンスの前駆現象として、12世紀ルネサンスとも呼ばれています。

今回は、12世紀ルネサンスとも呼ばれるアラビアからヨーロッパへの導入経路と、中世以降のヨーロッパの錬金術の全体の流れを、HSU卒論(*1)でまとめられた内容と、参考文献(*2)を紐解きながら、見ていきます。

【参考文献】
(*1)丸山久美子著 『錬金術の研究-幸福の科学の視点に立って-』 HSU卒業研究論文、(2019)
(*2)伊藤俊太郎著 『近代科学の源流』 初版、中公文庫、(2007)