政府は8月に発表した情報通信白書で、新型コロナウィルスの影響で急速に進んだ社会のデジタル化は「不可逆的なもの」とした。一方で、テクノロジーをめぐるセキュリティやプライバシーの侵害、人間の雇用を奪うなどの問題も浮き彫りになっているのも事実だ。
今まで以上に、一人ひとりがテクノロジーとの付き合い方を考えなければならない状況となっている。
今回は、AIの危険性を訴える識者が、テクノロジーの発展が引き起こしうる危険性とは何かについて語ったインタビューを紹介する(本誌2019年7月号 記事を再掲)。
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「テクノロジー崇拝」が人間性を滅ぼす
NPO「ForHumanity」設立者
ライアン・キャリア
プロフィール
(Ryan Carrier) ミシガン大学を卒業後、世界銀行・国際金融公社の新興市場データベース事業、スタンダード&プアーズのインデックス事業などに携わる。約25年間、金融部門でキャリアを重ね、2004年にCFA協会認定証券アナリストの資格を習得。AI技術を採用したヘッジファンドの経営などを経験し、AIと倫理に関する問題意識から2016年にNPO「ForHumanity」を設立。
AIやロボット技術の普及・拡大は今後、避けられません。
そうした技術の進歩が甚だしい時代において、私たちの「人間性」が確実に保護されるべきだという危機感から、NPO「For Humanity」を設立し、AIを開発する企業に対して独立した監査を行うなどしています。
つながりを断つテクノロジー
例えば、グーグルによるプライバシー侵害は深刻な問題です。
グーグルは、スマホやパソコンでの検索、グーグルホームで"盗聴"した自宅の会話など、あらゆる情報を集めています。こうした、あなたに関する情報をデータベースにして、あなたに広告を見てほしいと思うような会社に対して、「あなたの興味・関心分野」を売り、莫大なお金を稼いでいるのです。
これを知ったうえで、商品を買っているのであればいいのですが、多くの消費者が、自分の情報が収集・販売されていることを知りません。
また、フェイスブックなどのテクノロジーで、現代の人は「つながっている」と錯覚しています。
しかしその一方で、10代の若者の「孤独感」はかつてないほど高まっているという調査結果もあります。
同じ部屋で向かい合って座っているのに、みんながスマホの画面を見て、スマホの画面で会話している光景もよく見ます。SNS技術の進歩は、目の前の人とシンプルな人間関係を築くうえで「壁」になっているのです。
同様に、こうした技術の進歩の結果、地域のコミュニティは破壊されています。
例えば100年前、あなたが新しい町や国に移住した時に、そこのコミュニティや近所の人の中に溶け込めなかったら、その地域で生きていくことはできませんでした。しかし、テクノロジーによって人は「自分一人で何でもできる」と考え、他の人と関わることを煩わしいと考えるようになりました。
テクノロジーに人々をつなげる力があることは事実ですが、一方で、人々のシンプルなつながりを「断つ」力もあります。
人間はAI化するのか
「AI信仰」の加速によって、人間の体にAIが埋め込まれる時代が訪れれば、さらに恐ろしい事態が予想されます。それは、AIを体内に埋め込むのを「人間の魂の訓練(soul-training)にとってよくない」と考えて拒否した人々が、時代に取り残されるということです。
例えば、上司が部下に、「第二次大戦の専門家になってほしい」と言ったとします。
ある人は、脳に"インプラント治療"をして第二次大戦の情報をインストールし、一晩で専門家になったとします。しかしあなたは、「それは私の信条に反するので、できない」とインプラント治療を拒否します。上司は、どちらの人を厚遇するでしょうか。
テクノロジー至上社会において、競争に勝つためにテクノロジーを自分の中に埋め込もうとするのは、よりよい仕事を求める人間の生存本能です。それが「自分の魂修行にとって良くない」と考え、拒否するのは信仰者だけでしょう。
つまり、テクノロジーの進歩と、それを崇拝する人が増えることによって、神を崇拝する信仰者が「少数派」になってしまう恐れがあるのです。
最後は人々が何を選ぶか
私はキリスト教徒として、テクノロジーは自分が神との関係を築くうえで、最大の障害物になる恐れがあると思っています。
私は生まれてからずっとキリスト教徒でしたが、最近ようやく、キリスト教における「罪」の概念についての理解が深まってきました。
私の理解では、自分と神との関係を遮るすべてのものが「罪」になります。なので、テクノロジーが、神への信仰を深めるのを邪魔し、他者を愛するという行為の障壁になるのであれば、それは絶対的な「罪」になると言えます。
では、いかにして、人間性を保ちながら技術の進歩と付き合っていけばいいのでしょうか。
それは、人間の選択次第です。企業は利益を生むために存在するので、テクノロジーを信仰する人が多数派になれば、それをサポートする商品を開発するでしょう。したがって、社会が唯物的になっていることや、コミュニティが失われていることを、すべて企業のせいにするのは誤りです。
すべては人間の心が「何に価値を見出し」、「何を選択するか」にかかっていると言えます。(談)
【関連書籍】
『人の温もりの経済学』
幸福の科学出版 大川隆法著
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