HSU 未来産業学部プロフェッサー
志波 光晴
プロフィール
(しわ・みつはる)1957年、福岡県生まれ。神奈川大学経済学部経済学科卒業後、プラントメンテナンス会社、非破壊検査装置会社で働く中で理科系の研究者を決意。放送大学教養学部で理科系を学び、東京大学先端科学技術研究センター研究生を経て、同大学工学部より工学博士を取得。同大学先端科学技術研究センター助手、(財)発電設備技術検査協会鶴見試験研究センター研究員、(独)物質・材料研究機構上席研究員を経て、2016年よりHSU未来産業学部プロフェッサー。専門は、材料工学、非破壊検査、信頼性評価。著書に「環境・エネルギー材料ハンドブック」(オーム社)など。
これまで、本連載でアラビアの代表的な錬金術師として、「硫黄水銀理論」の8世紀のジャービル・ブン・ハイヤーン(*1、2)、「エリキサ」の9世紀のアル・ラーズィー(ラテン語名:ラーゼス)を紹介しました(*3)。
錬金術の歴史にとって伝統的とも言えるエリキサ製造において、エジプトでは占星術などでもたらされる「惑星(のエネルギー)」に注目したのに対し(*4)、アラビアでは加熱や蒸留に見られる「熱エネルギー」と物質の反応プロセスに注目しました。アラビアの錬金術のこの点が、現代化学の源流となった所以だと考えられます。彼らは、いずれもイスラム帝国の首都バクダートを中心に活動を行いました。
一方、アラビアの錬金術師はバクダートだけで活躍したわけではありませんでした。
例えば、イスラム教スーフィズムの元祖の一人とされるズン・ヌーンは、9世紀のエジプトのイフミーム出身のエジプト人で、エジプトの古代の錬金術や象形文字の神秘学に通じていたとされています(*5)。10世紀のバクダットのイブン・ナディーム著の書籍目録『フィフリスト』では、『ムジャラバート』という錬金術や魔術に関する書籍の著者として挙げられています(*6)。
今回は、エリキサ製造の変化の背景にあるもの、すなわちイスラム社会の構造と当時のバクダットとエジプトの状況について、宗教と錬金術の観点から整理してみます。
【参考文献】