8月下旬に東京で開催された「エンディング産業展」では、新しい葬儀の展示が注目を集めた。

日本では、一年のうちで昼と夜の長さがちょうど同じになる3月下旬の春分と9月下旬の秋分のころを「お彼岸」と呼ぶ。この時期に、お墓参りをする人は多いだろう。

しかし、「お墓は不要」と考える人も多くなってきている。

例えば、遺骨をダイヤモンドに加工する「ダイヤモンド葬」やパウダー状にした遺骨をバルーンに入れて宇宙へ"葬送"する「バルーン宇宙葬」、さらには、遺灰を収めたカプセルをロケットに搭載し、宇宙へ打ち上げる「宇宙葬」など、新しい葬儀が注目を集めている。

「バルーン宇宙葬」では、好きなバルーンを選んで飛ばすことができるという。

特に都市部では土地代が高いため、お墓を新しくつくるのが難しくなっている。お墓の跡地にマンションが建てられているのは、その象徴だ。また、仮に先祖から続くお墓があっても、子孫への継承や維持が難しいため、墓じまいをするケースも増えている。

つまり、お墓をつくるより、遺灰を海に撒いたりして"終わり"にした方が、安上がりで済み、後の心配も少なくて済むということだろう。しかしこれは、お墓を、遺族にとっての「記念碑」や、単なる伝統としてのみとらえているからこそできるやり方でもある。

「自分が死んだ」ことが分からないという現実

しかし実際には、お墓をつくることは、亡くなった方にとっては極めて「切実」な意味がある。

大川隆法・幸福の科学総裁は2017年10月、亡くなってから半年が経った渡部昇一氏の霊を招霊した。その際、渡部昇一氏の霊は、お墓の大切さについて、このように語っていた。

今、何て言うかなあ。無信仰で、無宗教で、そういうもの(葬儀などの儀式)は要らないし、老後の資金が惜しいから、ケチろうとしてる人が増えてきていると言ってるけど、単に灰になって海なんかに散骨されたら、そのあと、ちょっと動揺してる人なんかはいるんじゃないか。

(中略)

やっぱり、そうは言っても、ちゃんと葬式をやってもらって、お墓っていうかなあ、そういうものがあったほうがいいような気はするよ。なんかね。

やっぱり、ときどき死んだことを確認しないとよくないし、それを確認できない人は、死んだかどうかが分からなくて、けっこう、この世のへんをうろうろしてる人もいっぱいいるような。病院とかね、そのへんか、あと、家のなかにいる人もいるようだから 」(『渡部昇一 死後の生活を語る』より)

人間は亡くなった後も、魂として存在する。大川総裁の霊査によれば、「自分は死んだ」ということすら確認できず、地上で迷っている魂が増えているという。

死んだ後にまず、「自分が死んで、魂という存在になった」ことを自覚して初めて、あの世へと向かうことができる。葬儀を行ったり、お墓が存在することで、自分が死んだことに気づき、救いのきっかけが与えられるのだ。

お墓には、一種の"アンテナ"のような役割がある。お盆やお彼岸の時に、生きている人がお墓参りをすると、お墓を通じて、亡くなった方の霊と気持ちが通じることがある。冥福を祈り、感謝の思いを伝えることが、地上で迷っている霊の救いのよすがともなる。

「それでもお墓が必要な理由」は、ここにある。

(飯田知世)

【関連書籍】

幸福の科学出版 『あなたは死んだらどうなるか?』 大川隆法著

https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=2079

幸福の科学出版 『渡部昇一 死後の生活を語る』 大川隆法著

https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=1944

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