《本記事のポイント》
- 日本政府が「徴用工の情報センター」を東京に設置する動きに、韓国が反発
- 韓国は「徴用工=奴隷労働」と主張しているが、そうした歴史的事実はない
- 日本人と朝鮮人での待遇の格差はなく、日本は正しい歴史を発信すべき
朝鮮半島出身者が戦時中に、長崎市の端島(通称:軍艦島)炭坑などで労働した「徴用工問題」について、日本政府はこのほど、元島民らの証言や一次史料を収集し、2019年を目途に総合情報センターを東京都に設置する方針を示した。これに対し、韓国外務省は5日、「日本が国際社会に約束した通り、強制労役の犠牲者をしのぶための措置を誠実かつ速やかに履行するよう促す」とする遺憾声明を発表した。
韓国側は声明の中で、「2015年7月のユネスコ世界遺産委員会で産業革命遺産の世界遺産登録が決定した際、委員会は日本側にこれら施設全体の歴史を理解できる説明戦略の策定を勧告し、日本側は一部の施設で1940年代に韓国人やその他の国の国民が本人の意思に反して動員され、過酷な条件下で、強制で労役させられたとし、犠牲者を記憶するためのインフォメーションセンターの設置など適切な措置を取ると述べている」と指摘(5日付「KBS WORLD Radio News」)。
同国では、労働現場だった長崎ではなく、東京に設置する日本の対応に批判が起きているほか、“徴用工の奴隷労働”の歴史が薄められることへの懸念も生じている。
「日本人と朝鮮人は助け合っていた」
韓国側は、「軍艦島で働いていた朝鮮人が奴隷労働を強いられた」と主張しているが、そうした事実はない。
朝鮮人の待遇については、数多くの資料でも日本人と朝鮮人が平等だったことが分かっている。例えば、徴用の歴史に詳しい三輪宗弘・九州大学教授は、編集部の取材に対してこう述べている。
「(朝鮮人の)食事は日本人と同じです。戦争末期になると食糧事情が厳しくなりましたが、それでも炭鉱夫は優遇されていました。日本人と朝鮮人の子供も国民学校で席を並べていましたし、日本が朝鮮人を酷使して殺すなどあり得ない話です。端島では、10年以上働いているベテラン朝鮮人炭鉱マンも多く、現場では日本人と助け合っていました」
また、軍艦島の炭坑で働いていた松本栄氏も、「私の両親は豆腐屋で、お腹を空かせた朝鮮の方々がよく来ました。父は“お金はいいから”と、余ったオカラを分け与えていましたが、終戦後、国に帰る際、彼らが木箱に沢山詰まったリンゴを届けてくれましてね。あの美味しさは忘れられない。米が足りないとか醤油がないなら譲り合う。島全体が家族のようなもので、迫害などありませんでした」と語っている(2017年8月3日号「週刊新潮」)。
現時点では、日本政府がどのような情報を集めるかは不明だが、万が一、日本側に落ち度があったとしても、それは個人の犯罪であり、政府が組織的に奴隷労働を強いた事実はない。そうした真実を明らかにする情報センターの設置であれば、政府の対応は評価できよう。
徴用工問題は、1965年の日韓請求権協定によって解決された問題でもある。軍艦島の世界遺産登録を契機にした、韓国の「ごね得」を許してはならない。
(山本慧)
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