先の大戦において、日本軍が奮戦・玉砕することとなった、ペリリュー島や硫黄島での戦いは有名です。
しかし、ポツダム宣言の受諾を告げる玉音放送から3日後、北方の島にも、将兵たちが祖国の防波堤となり命を散らせた「硫黄島の戦い」のような局面があったことは、あまり知られていません。
ソ連の指導者スターリンは終戦後、情勢の混乱に乗じて日本侵攻を狙っていたと言われています。その最初の戦場に選ばれたのが、北海道へと続く千島列島の先端にある占守島(シュムシュトウ)でした。
今回は、そのストーリーの後編。
2017.08.18
先の大戦において、日本軍が奮戦・玉砕することとなった、ペリリュー島や硫黄島での戦いは有名です。
しかし、ポツダム宣言の受諾を告げる玉音放送から3日後、北方の島にも、将兵たちが祖国の防波堤となり命を散らせた「硫黄島の戦い」のような局面があったことは、あまり知られていません。
ソ連の指導者スターリンは終戦後、情勢の混乱に乗じて日本侵攻を狙っていたと言われています。その最初の戦場に選ばれたのが、北海道へと続く千島列島の先端にある占守島(シュムシュトウ)でした。
今回は、そのストーリーの後編。
「自由・民主・信仰」のために活躍する世界の識者への取材や、YouTube番組「未来編集」の配信を通じ、「自由の創設」のための報道を行っていきたいと考えています。
「ザ・リバティWeb」協賛金のご案内
YouTubeチャンネル「未来編集」最新動画