《本記事のポイント》
- 事件の犯人は、今も「障害者を安楽死させるべき」と考えている
- 障害を持って生まれることには意味がある
- 弱者を排除する思想は、全体主義につながる
日本全国を震撼させた相模原障害者施設殺傷事件が起きてから、26日で1年を迎えた。
事件は、相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」の元職員、植松聖被告が夜中に忍び込み、19人を殺害、26人に重軽傷を負わせるという凄惨なものだった。
植松被告は産経新聞の質問状に対し、「私は意思疎通が取れない人間を安楽死させるべきだと考えております」「世界には"理性と良心"とを授けられていない人間がいます」などと答え、「人の心を失っている人間」を「心失者(しんしつしゃ)」と呼んでいるという(26日付)。
事件から1年経った今でも、障害者に対する差別の思いは、根強く残ったままだ。
障害者が生きる意味
植松被告が語る「障害者は安楽死させるべき」という極端な主張に共感する人はほとんどいないだろうが、「障害者として生きることは不幸」という考えは、現代社会に広がっていると言えよう。
例えば、妊娠した場合の遺伝子検査で、胎児が障害者になる確率が高ければ、約96%の妊婦が中絶を選ぶという(※)。障害を持って生まれれば、本人や家族は苦労するかもしれない。もし、中絶をしてしまえば、「生まれてから殺されるか、生まれる前に殺されるか」の違いでしかないのも事実だ。
ほとんど議論されていないが、宗教的な観点から言えば、障害を持って生まれることには、必ず意味がある。
人は生まれる前に、人生計画を立てて生まれてくる。実はその際、あえて障害を持って生まれることを選択する人がいるのだ。
ある人は、愛の大切さや、五体満足であることの幸福を伝えるため、自らの意志で障害のある人生を選択する人もいる。またある人は、過去世で人を傷つけるなどのカルマを抱え、それを解消するために障害者として生まれる。
こうした霊的な真実からみると、障害者は決して不幸を選んで生まれたわけではない。
(※)NIPTコンソーシアムの発表より。2013年4月から15年12月までの集計。
「弱者の排除」が全体主義につながる
さらに、植松被告は犯行前に「ヒトラーの思想が2週間前に降りてきた」と語るなど、ナチスの優生思想を肯定していた節がある。
被告の「障害者は安楽死させるべきだ」という主張も、「弱者を皆殺しにしても構わない。強者だけが残ればいい」という粛清を肯定する思想につながる可能性がある。これは、ヒトラーの全体主義思想そのものだ。
その点について、大川隆法・幸福の科学グループ総裁は、著書『愛と障害者と悪魔の働きについて』の中で、こう警告している。
「 『重複障害者を抹殺しても構わない』というような思想が流行ってきて、これに"類似品"が続いてくるかもしれません。これで純血主義が出来上がってくると、ネオナチみたいなものが出てこられる道筋が、今、立とうとしているわけです。(中略)これは、十年以内の未来が見えますね 」
その上で大川総裁は、事件の黒幕は「超人思想」や「純血主義」を提唱し、ヒトラーにも影響を与えた哲学者のニーチェであるとした。弱者を排除する思想が広まれば、日本も、北朝鮮や中国のような国になる危険性がないとは言い切れない。
たとえ重度の障害があったとしても、罪もない人間の命を奪うことは、許されることではない。それを正当化する社会は、全体主義に近づくだろう。
(山本泉)
【関連書籍】
幸福の科学出版 『愛と障害者と悪魔の働きについて ―「相模原障害者施設」殺傷事件―』 大川隆法著
https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=1713
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