2014年3月号記事

新たなルネッサンスへ

大川隆法・霊言シリーズの衝撃  第6回

interview

渡部昇一氏に聞く
ベンジャミン・フランクリンと在原業平


contents

渡部 昇一

(わたなべ・しょういち)1930年山形県生まれ。55年上智大学大学院修士課程修了。ドイツのミュンスター大学、イギリスのオックスフォード大学に留学。哲学博士。フルブライト招聘教授。71年に上智大学教授。94年にミュンスター大学名誉哲学博士号を受ける。専門の英語学のみならず、多岐に渡る分野で言論活動を行う。『人は老いて死に、肉体は亡びても、魂は存在するのか?』(海竜社)など多数の著書があり、訳書に『自助論 上・下』(幸福の科学出版)がある。

本業の英語学者のみならず、評論家などとしても幅広く活躍する、上智大学名誉教授の渡部昇一氏。幸福の科学の霊査では、渡部氏の過去世は、アメリカ建国の父ベンジャミン・フランクリン(1706〜90年)と、『伊勢物語』の主人公のモデルと言われる在原業平(825〜80年)とされている。本誌編集長が、フランクリンと業平の人物像について渡部氏に聞いた。

編集長(以下、編) 渡部先生はクリスチャンでいらっしゃるので、死後の魂の存在や神様の存在は信じているけれども、生まれ変わりなどについては立場が違うかとは思います。その上で、先生の過去世と言われているベンジャミン・フランクリンと在原業平について、解説をいただければと思います。

渡部昇一氏(以下、渡) 信条と違うので何とも言えませんが、ベンジャミン・フランクリンと在原業平の魂が私に入っていると言われましても、実感はないんです。まあ、光栄です。そんな立派な人の魂が入っていると言われるのは。

フランクリンの英語勉強法と同じことをした

フランクリンは非常に活動範囲の広い人です。私はうんと狭い(笑)。私は学校の教師ですが、彼は大実業家であり、大科学者。しかもアメリカ独立という重要な任務を担っていた。全然比べものになりません。

私が最初にフランクリンに触れたのは、彼の自叙伝の一部を英語の教科書で習ったときです。感心したのは、彼の英語勉強法です。彼は学校教育を受けていないので、当時イギリスで英語に定評があった雑誌を読んで、その内容を書き、自分の書いた文が雑誌の文章に近くなるように書き直して英語力を鍛えた。実は、私もそれに近いことをやったことがあります。

アメリカ建国の父

ベンジャミン・フランクリン

ベンジャミン・フランクリンは、その業績から「アメリカ建国の父」と呼ばれ、現在でも100ドル紙幣に描かれている人物だ。恵まれない環境の中、仕事や勉学に励み、印刷業・新聞業で成功。アメリカ初の公立図書館の設立や、消防組合、フィラデルフィア大学の創設など、社会活動に尽力した。科学者としても活躍し、雷が電気であることを明らかにし、避雷針を発明したことでも知られている。アメリカの独立宣言起草にも携わり、植民地代表としてフランスに渡り、独立への援助を獲得。独立後も州知事、憲法制定会議代議員などを務めた。

また、「節制」「沈黙」など「13の徳目」を自らに課し、合理的・科学的精神をもって成功していった。その生き方や思想が「資本主義精神」のモデルとされ、半生をつづった『フランクリン自伝』は多くのアメリカ人の指針となった。

自助論を100年先取りしていた

それから、私はスマイルズの『セルフ・ヘルプ(自助論)』という本が好きですが、実はこの本が出版される100年くらい前に、「God helps those who help themselves(神は自ら助くる者を助く)」とフランクリンが言っている。自助論には、「Heaven helps those who help themselves(天は自ら助くる者を助く)」とあって、これがイギリスの産業革命のモットーになりましたから、それを先取りしていたことになります。

成功哲学を説いた共通点

フランクリンの事業家としての側面は渡部先生とは違いますが、啓蒙思想家として、成功哲学の出発点にいるような人です。日本で成功哲学を説いておられる渡部先生と近いものがあると思います。

明治時代からフランクリンは日本人に人気がありました。私の子供の頃も、いろんな形でフランクリンの話を聞いたり、読んだりしました。彼は科学者としても認められています。「雷は電気である」という証明は、イギリスのロイヤルソサイエティーからメダルをもらっているんですよ。自然科学の最先端でした。

そうした研究は、若い時ではなくて、意外と年を取ってから取り組んでいますね。

彼は中年で大金持ちになって、その後はそういう好きなことをやっています。非常に短期間に大金持ちになりました。印刷と出版が主ですけれども、不動産業や奴隷の売買もやっていますね。

奴隷売買もしましたが、その後、奴隷の廃止を訴えました。

アメリカの最初の憲法に奴隷廃止を入れようと提案したけれども採用されなかった。

当時としては先進的な考え方です。基本的に保守的だけれども、そういうリベラルな考え方も持っていた。先生の言論活動をみると、戦後、左翼勢力が強くなる中で、国を支える精神的な柱をつくるような仕事をされていましたから、この部分も似ていると思います。それからフランクリンは、アメリカの資本主義の基になるような考え方を打ち立てました。

ある人によると、資本主義の一番の根本思想は、フランクリンが表現したと言われている。「Time is Money(時は金なり)」というのは彼が言ったそうです。こうした考えはそれまではなかった。

ドラッカーもタイムベースマネジメントを説きましたが、21世紀でも通用する考え方ですね。

そう。これがなかったら近代社会そのものがないですよ。

『伊勢物語』の主人公 在原業平

在原業平は、小野小町などと並ぶ、平安初期の代表的歌人。代表歌には「世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし」(『古今和歌集』)などがある。これは、「この世の中に、桜というものがなかったら、春をのどかな気持ちで過ごせるだろうに」という意味で、業平の桜に対する強い愛情を逆説的に詠んだもの。『小倉百人一首』の「ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くゝるとは」も業平の歌。

また、日本の代表的な古典『伊勢物語』の主人公のモデルとも言われている。そこには、主人公が天皇の妃(二条后)と駆け落ちするなどの禁断の恋が描かれていることから、業平には「元祖プレイボーイ」のイメージが強い。実際に、かなりの美男子だったという記録もある。父・母とも天皇の子という高貴な血筋にもかかわらず出世はせず、政治家としては不遇な人生を送ったといわれる。

在原業平は「志士」だった

フランクリンはアメリカの精神的源流ですが、一方、在原業平のほうも、ある意味、日本的な精神の源流の一つと言えます。

僕は、高校の国語の先生が「『伊勢物語』は本当の教養の書である」と言っていたのを聞いて、それをきっかけに、内容も作者も何も知らずに、最初に読んだ古典が『伊勢物語』でした。

読まれた時の感想は?

あまり記憶に残っていませんが、ただ、最初に思っていたような人ではありませんでした。一般的には色男の面が強調されていますが、意外と「志士」なんです。業平が仕えた天皇の最初の正妻は紀氏出身で、天皇は、その長男の惟喬親王を次の天皇にしたかった。ところが藤原氏のお嫁さんから子供が生まれて、天皇の意思に反してそちらのほうが次の清和天皇になった。惟喬親王はわずか29歳くらいで小野の山里で坊さんになってしまう。そうすると誰も親王には会いに行かないんです。藤原氏ににらまれますからね。ところが業平はちゃんと行っている。このへんはもっと強調されてもいいんじゃないかと思いますね。

会いに行くと、疎まれるし、出世も望めなくなるかもしれない。

だから業平は出世しなかった。出世しなかったら、女ばかり追いかけてたという説もある(笑)。

業平が詠んだ天下の名歌

しかし歌はうまいですよね。「世の中に  絶えて桜の  なかりせば  春の心は  のどけからまし」(コラム参照)なんかは、天下の名歌ですよ。今でも「桜が3分咲きです、5分咲きです」なんていうニュースが流れていますからね。

私は先生の『日本語のこころ』(注1)を学生時代に読んだのですが、これを読んで「和歌の前の平等」というのを初めて知りました。たしかに身分に関係なく、みんなが和歌を詠んで、古今集の中に入っている。「日本人の本質ってこういうところにあるのだ」と感動したことを覚えています。

平等ですね。家庭の主婦なんかで和歌を作る人は、案外、偉い学者の和歌をけなすんです。学問はけなせないけど、和歌はけなせる。「私の方がうまいわ」ってね。もし『伊勢物語』を業平が書いたのなら、まあ、書いたんだろうけれども、これはえらく古いですからね。これは世界的に見てもかなり古い文学作品です。

たしかに中国には歴史を記している古典はありますが、情緒豊かな文学は……。

文学はないです。それが出てきたのは明の時代です。

フランクリンと業平に共通点はある?

在原業平とベンジャミン・フランクリンの共通点を探すとしたら、どういうところでしょうか。

うーん、ないね。強いて言えば、2人とも私が好きな人であること(笑)。

先生が親近感を覚えるところが共通点ですか。ちなみに、フランクリンや業平が、現代に生まれたら何をするでしょう。

フランクリンは、大政治家か、素晴らしい大蔵大臣でしょうか。お金に関連することですかね。

お金のことを一番よく分かっている人ですね。

在原業平みたいな人は、やっぱり世には容れられずに生きるような方ですかね。

足して2で割ると渡部先生になりませんか。

全然ならない(笑)。

でも、普通の人であれば、どちらかの仕事だと思うんです。資本主義のもととなる自助の精神を啓蒙する仕事と、日本的な精神を伝えて、解説していくという仕事。先生の場合、それが統合されていると思います。

アメリカでは全部統合されているよ。

日本でそれが両立するのは、結構、難しいところがあります。先生のように、この二つを統合するのは、極めて難しいと思うんですが。

統合してない。成功哲学は日本でも盛んだったんですよ。明治のころは出世は正義ですからね。それが戦後、左翼がのさばってから、みんな言わなくなっただけで、元々あったものですから。

ただ、先生が発信している言論は、ほぼ同じだと思います。

フランクリンと言われ「光栄の至り」

最後に、生まれ変わりがあるとしたら、誰の生まれ変わりだったら一番うれしいですか?

幸田露伴(注2)とかがいいなぁ。

幸田露伴は日本のベンジャミン・フランクリンにあたるかもしれません。明治期に努力精進の考え方を広めました。

大学はつくっていませんがね。あとは、渋沢栄一(注3)もいいねぇ。

そちらも日本のフランクリンですよ(笑)。

渋沢栄一は近いかもしれない。やっぱり独特のお金のセンスがありますね。

実業家であり、『論語と算盤』ということで啓蒙もしている。確かに日本のフランクリンを探すと渋沢栄一かもしれませんね。その生まれ変わりだったらいいなということで、結論にしましょうか。

(笑)フランクリンなんて言ってもらって光栄の至りですよ。あんな偉い人はなかなかいない。アメリカを独立させたんですから。

私たちの世代から見ると、左翼全盛の時代から、先生のような方がまともな価値観を発信して、ようやく日本の国が立ち上がってきた。先生の功績は大きいと思います。今回はありがとうございました。

(注1)講談社現代新書
(注2)1867年東京生まれ。日本の小説家。小説『五重塔『』運命』に加え、評論『努力論』で努力の大切さを訴えた。
(注3)1840年埼玉生まれ。第一国立銀行など500にのぼる企業の設立に携わったことから「日本資本主義の父」と言われる。