少年法改正議論 少年の可塑性を信じるなら責任を取らせるべき

2015.03.04

川崎市で、中学1年生の男子生徒が殺害されるという痛ましい事件が起こった。殺人容疑で逮捕された3人が皆20歳以下の「少年」のため、「少年法」改正の議論を呼んでいる。

「少年法」とは、加害少年の「更生」に期待し、通常の刑事裁判とは異なる手続きを取ることを決めた法律だ。以前よりは厳罰化され、現在では、18歳以上であれば死刑になるケースもある。とはいえ、通常の刑事裁判ならば死刑になる事案でも、18歳未満ならば無期刑にしなくてはならないと定められ、他にも成年より刑罰が軽くなるようさまざまな配慮がなされている。重大な犯罪でなければ「前科」も残らない。

さらには、罪を犯した少年が特定されないよう、写真や名前を報道することを禁じている(厳密には、起訴前における規定はないが、報道各社の自主規制による)。

もちろん、平気でプライバシーを傷つけ、逮捕段階で罪が確定したかのように決め付けるような報道のあり方には問題がある。だが、20歳以上で罪を犯せば実名報道がされ、19歳の少年であれば重大犯罪でも実名報道がされないというのはバランスを欠く。

こうした規定に守られているため、20歳以下で罪を犯した場合、数年後には一般社会に復帰して普通に仕事に就くことも可能となる。

少年による重大な事件があると、こうした「少年法」のあり方について議論が起こる。

さらに現在では、公職選挙法を改正し、18歳以上に選挙権を付与しようという動きが進んでおり、18歳であっても買収などの重大な選挙犯罪にかかわった場合は、成年と同じように処罰することも検討されている。

そのため、少年法における「少年」の定義も、18歳未満に引き下げるべきだという意見が出てきている。

そうした中、日弁連は「たとえ他の法律で『18歳以上は成人』と扱うようになったとしても、少年法は現在のまま『20歳未満』を適用対象とすべき」という意見書を法務相に提出した。

この日弁連の意見には違和感がある。選挙権で社会に対する権利が大きくなれば、責任も重くなるのが当然だろう。

日弁連は、少年の場合は、行為の意味や結果の予測についての判断が未熟であり、育った環境なども考慮に入れなくてはいけないとする。

だがこれは、厳しい家庭環境にあっても社会で立派に活躍している人たちに失礼な話だ。分別がつかない幼少時ならいざ知らず、どんな環境に育とうとも、高校生にもなって自らの行為の重大性に気づかないわけはないだろう。

仏教では、あの世も含めた「因果の理法」を説く。間違った思いと行いは、悪しき結果をもたらす。たとえこの世で厳しい報いを受けなくとも、あの世においてはその報いを受けることになる。

ただし、人間は本来「神仏の子」であり、その本質が善であることを忘れてはならない。

善であるからこそ、心から改心すれば立ち直ることができる。これは、少年でも成人でも同じだ。

少年たちの可塑性を信じ、幸福を願うならば、制度的に守りすぎるのは間違いだ。自らが犯した罪の重さに向き合い、それだけの代償を払ってもらう必要があるだろう。(佳)

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