初詣で考えたい「日本人の信仰心」 宗教が国を繁栄させてきた
2015.01.02
桓武天皇を祀る京都・平安神宮の大鳥居
2015年を迎え、各地で新年を祝う行事がにぎわいを見せている。三重県の伊勢神宮は12月31日、2014年1年間の参拝者数が1086万5160人となり、2年連続で1000万人を超えたことを発表。正月三が日で65万人の参拝者を見込んでいるという。日本人の信仰心も、なかなかのものだ。
その一方、アメリカのシンクタンク「ピュー・リサーチセンター」が昨年4月に公表した調査結果によると、日本は、チェコ、北朝鮮、エストニアに次ぐ世界で4番目の「無宗教国家」となった。
この矛盾をどう考えればいいのか。
古来より宗教をもとに国家を繁栄させてきた
今でこそ信仰心が薄いと言われるが、日本人は古来より信仰を大切にし、国づくりの中心に据えてきた民族だ。
歴史を振り返れば、飛鳥時代には、聖徳太子が中国・朝鮮から伝来した仏教と日本の神道を習合し、現代につながる宗教的寛容さの風土をつくった。奈良時代には、全国に国分寺や国分尼寺を建立。その中心である東大寺は、当時、世界最大の木造建築物だった。
平安時代、桓武天皇が開いた平安京は、宗教的寛容の精神の下、仏教を中心とした宗教が栄え、宗教と政治が調和した宗教都市となった。この時代は、死刑が行われることがないほど人々の心が穏やかで平和だったという。その後、鎌倉時代・戦国時代など外圧や内政の変革期に戦いの時代があったものの、江戸時代は260年もの平和な時代が続いた。
日本の歴史全体を俯瞰すれば、「メシアが理想の国家を築き、その繁栄が千年間続く」というユダヤ・キリスト教で言うところの「千年王国」の理想を実現したと言えるだろう。
戦後教育で宗教が骨抜きにされた
しかし、そうした日本人の信仰心は戦後の教育によって大きく損なわれた。GHQは、第2次大戦中の日本軍の強さの根源には「宗教心」があると考え、天皇制や神道などの宗教的な部分を骨抜きにして、日本の誇り高い歴史や愛国心を奪った。その結果、政治や教育、新聞やテレビという公の場から、「宗教的なるもの」が排除されていった。
また、1995年のオウム真理教による地下鉄サリン事件で、「宗教」がクローズアップされると、それまで宗教に触れる機会の少なかった日本人に「宗教は怖いもの」というマイナスの感情が植え付けられてしまった。もちろん、オウムは宗教ではなく、宗教を語った単なるテロ集団に過ぎないのだが……。
失われた信仰心を取り戻そう
西暦2015年は、神武天皇の即位以来の皇紀2675年にあたる。日本はアメリカの10倍以上の歴史を持つ、世界に比類なき国家である。その意味では、「信仰心の薄い日本人」は、わずか70年に過ぎないと言える。
初詣を済ませた人も、これからの人も、手を合わせて祈る先に、人間を超えた神仏という存在がいて、どんな時代にも、私たちを見守ってくれていたことに思いを馳せてみてはどうだろう。
「神国日本」は、戦争中の政府や現代の右翼団体のスローガンにとどまるものでなく、事実そのものであることに気づけるかもしれない。(冨)
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