釈量子の志士奮迅 [第15回]
2013.08.27
2013年10月号記事
第15回
釈量子の志士奮迅
世の中は変えられる!
命を懸ける
釈量子
(しゃく・りょうこ)1969年東京都生まれ。國學院大學文学部史学科卒、大手企業勤務を経て、(宗)幸福の科学に入局。本誌編集部、常務理事などを歴任。2013年7月から幸福実現党党首。
釈量子のブログはこちらでご覧になれます。
7月24日付で幸福実現党の党首に就任しました。今夏の参院選では、残念ながら結果は出せませんでしたが、ご支援をいただいたすべての方に心の底から感謝申し上げます。
しかし、私たちの志は揺らぎません。幸福実現党は「忍耐」の時を経て、必ずや日本の柱となって、この国の誇りを取り戻し、未来を拓く所存です。どうぞ引き続きご支援・ご協力賜りたいと存じます。
さて、この連載はすでに15回を迎えておりますが、今回、党首に就任したことを受けて、改めて初心に返り、なぜ幸福実現党という宗教政党が日本に必要なのかを述べたいと思います。
信仰心なくして日本の誇りは取り戻せない
今、日本に必要なのは信仰心です。人間にとって一番大切な真理は、「永遠の生命があり、この世とあの世を転生輪廻している」という真実です。なぜなら、この最大の真理を知れば、誰しもその人生の経験はすべて価値ある実りとなり、悟りという名の幸福を手にすることができるからです。反対に、「あの世もなく、神もいない」という唯物論ほど、人間を卑小な存在に貶めるものはありません。またそんな思想を持った政治家――スターリン、毛沢東、ポル・ポト――ほど恐ろしい存在はありません。唯物論に染まった現代日本は、そうしたマルキスト化した政治家が出る素地があります。
幸福実現党は「日本の誇りを取り戻す」と言い続けていますが、誇りの根源は"神につながっている"という感覚にあります。単に外国に対して強い態度に出るというだけでは、ただのならず者です。信仰心から来る誇りが、人を守る愛となり、強さとなります。だから、国難の打破は宗教政党でなければできない仕事だと思います。
また、この日本には信仰心とともに、サムライ精神も取り戻さないといけません。男のプライドです。何かあった時には体を張って母を守り、妻子を守り、彼女を守る。そんなことは当たり前かもしれませんが、憲法改正議論を見ると、まるで、暴漢に襲われても女性を置いて逃げるような姿に見えなくもありません。
誇りある幸福維新の志士たち
幸福実現党の仲間には、多くのサムライたちがいます。
先日会ったある青年は、刑務所のなかで『猛女対談 腹をくくって国を守れ』(大川隆法著)を読んだそうです。離婚経験のある30代の男性でしたが、「腹をくくって女性を守ったことがない」自分に気づいて愕然としたそうです。青年はお務めを終えて刑務所を出ると、幸福の科学の支部を訪れて本格的に心の修行を始めるとともに、身体を張って誰かを守りたいと考え、政治活動に邁進し始めたのです。
青年は活動しているうちに、「最近の若い人はあまり褒められたことがない」という声を耳にします。それから職場の部下や知り合った人たちの長所を言葉にし、欠点は反省を促しながら励ましていきました。数カ月後、派遣先の経営者から「あなたの職場の若者はみな素直で、間違いはすぐに改善する。見上げたものだ」と評価されるようになりました。部下からの信頼も深まり、「あなたが言うなら」と、選挙では千人以上の方の支持を集めることができました。
青年は、親兄弟とも絶縁状態です。しかし先日、何度電話しても出てくれなかったお母さんが、たった一度受話器を取った時、「生んでくれてありがとう」と一言言えたことを喜んでいました。人生を本気でやり直した人間の幸福は「感謝」でした。自分を変える勇気は、他の人の人生にも変革を促します。
また、先日亡くなった熱心な党員の方に、こんなエピソードがあります。がんを患って入院していたのですが、参院選の投票所に行けないので、病院のベッドに選挙管理人を呼んで、虫の息で選挙区の候補者の名前と党の名前を伝え、翌朝に亡くなったそうです。
私たちに投じられた一票は、実に重いのです。幸福実現党の活動が単なる政治家輩出運動ではないからです。命を懸けるに足るものであり、それは彼らの生き様が証明しています。そんな人が一人、二人と増えていったときに、世の中が変わらないわけがないと私は思うのです。
私は、幸福維新の志士たちの生き様を語り伝えたい。暴力を伴わず、言論によって、感化力によって、この国を動かそうとする仲間の存在を誇りに思っています。
「自由・民主・信仰」のために活躍する世界の識者への取材や、YouTube番組「未来編集」の配信を通じ、「自由の創設」のための報道を行っていきたいと考えています。
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