新・過去世物語 宮沢賢治 アナザーストーリー(後編) 生まれ変わった三木孝浩監督守護霊は「あがいている人たちに、『蜘蛛の糸』を垂らしてやりたい」と語る
2025.12.29
イラスト:菊池としを
「雨ニモマケズ」の詩で知られる宮沢賢治(1896~1933年)は、現代の青春映画の名手として知られる三木孝浩 監督として生まれ変わっていることを、本誌11月号「宮沢賢治の生まれ変わりは『あの映画監督』だった」で紹介した。
本欄では2回にわたって、三木監督の作品を手がかりにして、本誌とは異なる視点から宮沢賢治の人物像に迫る。前編では、「宇宙の意志」に巡り合うまでの心の旅路を追った。今回は、その後編。
「ほかの神さまを信ずる人たちのしたことでも涙がこぼれるだろう」
妹のトシの死後、賢治は、排他的な法華経至上主義から離れ、宗派を超えて「せかいがぜんたい幸福に」なることを祈るようになる。『銀河鉄道の夜』の第三稿には「ほかの神さまを信ずる人たちのしたことでも涙がこぼれるだろう」と書かれており、作品の中には、キリスト教的な自己犠牲の精神も織り込まれている。
晩年の賢治は、私塾「羅須地人協会(らすじんきょうかい)」を設立し、宗派や職業、身分等に関係なく、「宇宙の意志」を感じ取り、技巧ではなく、魂の輝きに裏付けられた「芸術」を生み出すことを目指した。
賢治が他宗に寛容になった経緯については謎が多いが、前編では、トシを通じて、キリスト教の牧師である成瀬仁蔵(なるせ・じんぞう(1858~1919年))の思想が伝わったと考えると、きわめて自然に謎が解けるということをお伝えした。
「私の本当の身体というのはこの中にある霊体である。しかしてこの霊体は私の品格であります」
そして、死後の世界や魂についても、成瀬と賢治の考え方はよく似ている。
成瀬は60歳の時、肝臓ガンにかかって亡くなるが、その前の最終講義で、全学生に魂の不滅を熱く訴えかけていた。
「(私の肝臓は)時々、痛みもするのであります。けれども、これ(肉体)は私がここに胸に着けてるカフスや眼にかけている眼鏡と同じようなものであります。これは私の本当の身体ではない、直ちに脱ぎ捨ててしまう衣服である。私の本当の身体というのはこの中にある霊体である。しかしてこの霊体は私の品格であります。
すなわち私の肉体はここに朽ちるが、私が60年かかって必生の努力をもって築き上げた私の霊体すなわち私の品格は、霊の宮は永久に亡びないのであります。我々の生命には死滅ということはない、消滅ということはないと私は確信します。ゆえに何の恐れることがありましょうか」(『成瀬先生講演集 第10』桜楓文庫)
賢治の『春と修羅』に収められた「噴火湾(ノクターン)」では、トシの魂が来世に還ったことについて「わたくしの感じないちがった空間に いままでここにあった現象がうつる」と書かれている。この捉え方は、「私の霊体すなわち私の品格は霊の宮は永遠に滅びない」と訴え、それが霊界にそのまま移行すると考えた成瀬の来世観とよく似ている。
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