日本の始まりの神「天御祖神」の武士道に迫る ─ 地域シリーズ 岐阜・三重
2025.08.28
〈左〉三重・津城の大改修を手掛けた藤堂高虎像のある、津城跡・お城公園。〈右〉岐阜城から望む岐阜市内。(写真:ピクスタ)。
2025年10月号記事
地域シリーズ 岐阜・三重
日本の始まりの神「天御祖神」の武士道に迫る
日本文明には、実は3万年の歴史がある。
その始まりの頃から存在する「武士道」の流れを、岐阜・三重に見いだした。
岐阜・三重は、天下分け目の「関ケ原古戦場」をはじめ、数多くの戦いの舞台となった。
岐阜城を拠点とした織田信長や大垣城を拠点とした石田三成、徳川家四天王となった桑名藩主の本多忠勝、伊賀上野城を築いた築城の名手・藤堂高虎など、数々の武将が歴史に名を残した地でもある。
武士が持つべき精神性としての「武士道」が確立したのは鎌倉時代以降と考えられている。しかし、大川隆法・幸福の科学総裁の霊査によると、日本文明の始まりは「三万年前」にさかのぼり、その頃にすでに「武士」や「武士道」の原型があったというのだ。
失われた古代王朝
日本民族の祖(おや)
三重県いなべ市について、地元の女性は「『秀真(ほつま)の里』と呼ばれる地域があって、地元中学校の校歌の歌詞にも『秀真』という言葉が入っています」と話す。
「秀真」とは、日本の美しさをたたえる言葉とされる。
しかし、一方で「古代文字」を指す言葉という意味もある。「ホツマ文字」によって書かれた古文書『ホツマツタヱ』は、古事記・日本書紀よりもさらに古い文献だとされている。
『ホツマツタヱ』には、「天御祖神」という神の名が記される。
近年、大川隆法・幸福の科学総裁の霊界探究によって、日本文明の源流に「天御祖神」という創造神が実在することが明らかになった。
大川総裁が天御祖神の霊言を収録すると、3万年前、富士山の裾野に降りてきたといい、そこで築いた「富士王朝」が、日本文明の基となったという。
また、天御祖神の姿は力士のようで、身長は25メートル。富士山の斜面の上に座り、人々に話をする姿は「大仏さんが座っているような感じ」で、これが日本の「神」の始まりだったという(*1)。
その後、富士王朝は巨大な火山の噴火で埋もれてしまい、現代にその姿は伝わっていない。しかし、天御祖神の教えは、「合掌しておじぎをする習慣など礼儀作法」「祈願や祭り、お供えする風習」「神を敬うこと」「両親を敬い、家を築くこと」など現代の日本文化の中にも色濃く残っている(*2)。
(*1)『天御祖神文明の真実』
(*2)『天御祖神の降臨』
天御祖神は「善悪」を教えた
今回注目したいのが、天御祖神の教えに「善悪」を分ける考え方が強く出ていたことだ。「正義のために戦うこと」や「神の心に適った経済や富の考え方」として現れた教えは、「武士道」に続いている。
写真:ピクスタ
(上図をテキスト化)
富士王朝の時代 3万年前
天御祖神が降臨
日本文明の源流となる
縄文時代約 3000年前
古事記・日本書紀における天孫降臨の時代
弥生時代約 2000年前
伊勢神宮が創建される
鎌倉時代約 800年前
鎌倉幕府が成立し、武士政権ができる
※文中や注の特に断りのない『 』は、いずれも大川隆法著、幸福の科学出版刊。
※特筆のない天御祖神の霊言の引用は、いずれも大川隆法著『天御祖神 武士道を語る』(幸福の科学出版)より。
天御祖神が説いた日本人のあるべき姿
岐阜と天御祖神精神──神仏の正義を実現する
三重と天御祖神精神──勤勉が生む富で人々を豊かにする
「真の武士道」を目指す幸福実現党の議員たち
仏教にも通じる「真実の死生観」が現代に求められている
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