「天下り」あっせんで文科次官が引責辞任 教育に求められる「善悪」の価値判断
2017.01.20
《本記事のポイント》
- 文部科学省が組織的に「天下り」をあっせんしていた疑いがある。
- 「公」よりも「私」を優先する姿勢は信頼を裏切る行為であり「正しさ」が失われている。
- 教育界に善悪や正しさの価値基準を打ち立てる必要がある。
文部科学省が、同省幹部の大学への「天下り」をあっせんした疑いがあるとして、内閣府の再就職等監視委員会が調査している。同省の事務方トップである前川喜平事務次官が19日、引責辞任の意向を固めたことが報じられた(同日付各紙夕刊)。
松野博一文科相は、近く前川次官や当時の人事課長など計7人の幹部と職員を懲戒処分とする見通しだ。
記事によれば、あっせんを受けたとされる文科省幹部は、同省の高等教育局の前局長。高等教育局は大学行政を所管しており、教育研究や入試のほか、私立大への補助金や、大学・学部の設置認可などを担当する局だ。
問題となった前局長は、2015年8月に退職し、同10月に早稲田大学の教授に就いた。監視委が経緯を追うと、前局長は在職中に再就職を決めたほか、同省の人事課が前局長の履歴書を早大に送るなどしたことが分かっており、組織的な関与があったとみられている。前局長は再就職の活動を行ったことを認めたが、その時期に関しては「言えない」としている。このケースの他にも、再就職のあっせんが少なくとも数十件行われたとみられている。
2008年に施行された改正国家公務員法では、国家公務員の再就職のあっせんを禁じるとともに、職員本人が在職中に利害関係企業などに再就職の要求をしたり、経歴を提供したりする「求職活動」も禁止している。
「教育」の根本に正しさを
大学行政を所管している高等教育局は、大学に対してさまざまな権限を持っている。その局長を務めた人物を、大学に「天下り」させることは、文科省にとっては“たやすい"ことかもしれない。
しかしそれは、「公」よりも「私」を優先する姿勢を表しており、文科省や教育界に対する国民の信頼を裏切る行為といえる。しかも、問題となった個人だけでなく、組織的にあっせんに関与した疑いもある。今回の件は、「法の認識不足」以前に、教育の根本にあるべき「正しさ」が失われつつあることが顕在化したといえるのではないか。
民主主義国家の前提は、国民一人ひとりが、善悪を判断でき、どのような国や社会にすべきかを考えることができる人間であること。その国民を育てるのが、教育だ。今こそ教育界に、善悪や正しさの価値基準をしっかりと打ち立てる必要があるのではないだろうか。
善悪や正しさの基準となるのは、根本的には神仏の教えだ。教育の場では、宗教的なものを極力排除しようとする唯物論的な考え方が広まっているが、それでは、教育の本来の使命は果たすことはできないだろう。今こそ、教育界に基本的な宗教的価値観を根付かせることが必要だ。
(小林真由美)
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