ローマ教皇フランシスコが、動物も天国に入れると発言したことが、カトリック教徒、動物愛護団体、海外メディアの間で物議をかもしている。
ことの発端は、毎週バチカンのサン・ピエトロ広場で行われている演説の場で、ペットの犬が亡くなったことを悲しんでいる子供を慰めるために、ローマ教皇が「神が創造した全ての生き物に対して、天の門は開いている」と語りかけたことだ。
カトリック教会は歴史的に、「動物にも魂はあるのか」という問いに対して、明確な見解をとっておらず、歴代の教皇の間でも意見が分かれてきた。
ところで、動物に魂があるか否かということが、なぜそれほど重要な問題になるのか。それは、もし動物に魂があったとしたら、「人間が動物を食べることは正しいのか」という議論が起こり、それによって社会が大きく変わることもあるからだ。
実際に今回の件で、動物愛護団体は教皇を称賛しているが、食肉業界はこの発言のせいでベジタリアンが増えるのではないかと懸念している。
では、動物に魂があるのか。そして、動物にも天国や地獄があるのか。その疑問に答えているのが、大川隆法・幸福の科学総裁だ。大川総裁は著書で次のように記している。
「動物にも、やはり最低限の天国・地獄はあります。動物にも、『幸福に生きた』という動物と、『不幸だった』という動物がいるのです。(中略)夜中に道路を渡っていて、走ってきた車にひかれたヘビなどは、やはり、悔しい思いや無念な思い、怒りの思いを持っているので、地獄というには、やや“お粗末"ですが、いちおうの地獄に堕ちるわけです。要するに、天国・地獄を分けるのは、通常、感情のレベルです。天国・地獄は、喜怒哀楽にかかわることで決まるのです」(『死んでから困らない生き方』)
また、大川総裁は2010年秋、世界最大のカトリック教国であるブラジルに巡錫に訪れた際、参加者の「肉食の是非」に関する質問に対し、動植物にも魂が宿っていると説明した上で、こう答えている。
「それ(人間が動植物を食べること)は動物や植物にとっては気の毒なことではあります。(中略)それには、『人間の魂修行を助けている』という尊い修行をしている面があるのです。したがって、人間のほうがなすべきことは、ベジタリアンであろうとなかろうと、食料を食べるとき、彼らに感謝の心を持つことです。(中略)それを尊い犠牲としながら、よりよい社会をつくるために努力することによって、人間は、そうした罪を乗り越えていくことができる」(『真実への目覚め』大川隆法著)。
カトリック教会は、いまだに人間の魂が生まれ変わる転生輪廻の思想を認めていないが、今回の教皇の発言は、霊的な真実に一歩近づいたと言えるかもしれない。
それにしても興味深いのは、信仰を持つ人々が多い国で、「動物に魂があるか否か」ということが議論されるということ。それが示しているのは、宗教の思想が、人々の生活や行動の指針となっている事実だ。
逆に言えば、宗教や信仰を持たない人々は、正しさや生き方の指針など気にせずに、ただ生存をかけて本能のままに生きる「ケモノ」と言えるだろう。(中)
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