ロシアの文豪と言って真っ先に名が挙がるのは、「トルストイ」と「ドストエフスキー」だろう。
発刊中の本誌2024年3月号の連載「新・過去世物語」では、「ロシアに降りた二人の『救世主』──神は人を見捨てたまわず──」と題して、この2人の文豪がいずれも「救世主」の魂の分霊であることを紹介した。
本欄では、2回にわたって、トルストイが説いた「芸術論」の奥にある、普遍の真理について迫ってみたい。
「転向」して、過去の自分の作品をも批判する
トルストイ(1828~1910年)は『戦争と平和』や『アンナ・カレーニナ』などの大作で世界的な名声を確立したが、その内面では、人生の意味を問う深い葛藤に直面していた。
テレビもラジオもない19世紀において、情報を伝える媒体としての「メディア」は活字のみ。そのため、トルストイの成功のインパクトは、現代の世界的ベストセラー作家のレベルをはるかに超えていたと言える。
大作家として世の尊敬を集めたトルストイだったが、根本的な真理に到達できていないと苦悩する。「真の愛とは何か」「信仰とは何か」「神の目から見た正義とは何か」──そうした疑問に答えきれていなかった。
こうした苦闘を通じて、60代で書き始めた芸術論『芸術とはなにか』が、69歳ごろ(1897年)に完成する。
その中では、有閑階級の娯楽でしかない芸術を批判し、さらに、宗教的自覚とは無縁な享楽的な表現活動にも、厳しい批判を加えている。この著作を書いた頃に思想的に「転向」し、トルストイは過去の自作品をも批判するようになったので、その変わりぶりが、世界の知識人を驚かせた。
「上流階級の無信仰は、人類がせっかく到達した宗教的自覚から流れ出る最高の感情を伝えることを目的とする芸術の活動のかわりに、一部社会の人士に最大の快楽を与えることを目的とする活動が起こるような事態をつくり上げてしまった」(『トルストイ全集17』河出書房刊)
そして、トルストイは、誰にでもわかる簡潔な言葉を通して、「宗教的自覚」を世に弘めることを目指した。幸福というものが、「万人の同胞的生活、つまり、われわれ相互間の愛の結合にあるという自覚」(同上)を伝えようとしたのである。
その芸術・芸能は、「普遍的なものの影を宿しているかどうか」
ただ、それだけでは、牧師の説教と芸術との違いが説明できない。そのため、芸術においては、「感染力」を重視すべきことを論じた。