長谷川慶太郎氏に聞く - 大河ドラマの主人公 黒田官兵衛の本心 - 大川隆法・霊言シリーズの衝撃 第6回.3

2014.01.23

2014年3月号記事

新たなルネッサンスへ

大川隆法・霊言シリーズの衝撃  第6回

interview

長谷川慶太郎氏に聞く
大河ドラマの主人公 黒田官兵衛の本心


contents

長谷川 慶太郎

(はせがわ・けいたろう)1927年京都生まれ。53年大阪大学工学部卒。新聞記者、証券アナリストを経て63年独立。83年に『世界が日本を見倣う日』で第3回石橋湛山賞受賞。著書は『2014年長谷川慶太郎の大局を読む』(李白社)、『長谷川慶太郎 アジアの行方』(実業之日本社)など多数。

旧ソ連の崩壊やイラク戦争の開戦時期の予想を的中させるなど、国際エコノミストとして活躍する長谷川慶太郎氏。幸福の科学の霊査では、長谷川氏の過去世は、今年の大河ドラマの主人公・黒田官兵衛(1546〜1604年)であることが明らかになっている。本誌編集長が、長谷川氏に官兵衛の“本心"について聞き、長谷川氏は、自身は唯物論の立場と断りつつも、官兵衛の実像をありありと語った。

編集長(以下、編) やや特殊なテーマですけれども、長谷川先生の守護霊が、「自分は黒田官兵衛だ」とおっしゃっていました(注1)。今回は、大河ドラマも始まって話題になっている黒田官兵衛について、長谷川先生がどう評価されているかをお伺いできればと思います。

長谷川(以下、長) そうですか(笑)。今、黒田官兵衛がもてはやされているのは、当時の人材や組織の使い方が、現代のサラリーマン社会の中でも生かせる教訓を含んでいることが大きいと思います。

確かに、豊臣秀吉は人材をかき集めていきました。当時の軍師としては黒田官兵衛がナンバーワンですよね。

いや、秀吉に仕えたなかで一番有効な作戦を立案したのは竹中半兵衛(注2)です。たとえば「鳥取の干殺し」。半兵衛は配下の米商人にたっぷり金銀を持たせて、鳥取の米を全部買い占め、その上で鳥取を「経済封鎖」するんです。鳥取城とその住民をぜんぶ日干しにして、自軍に損害を出さずに鳥取を押さえました。

竹中半兵衛の生まれ変わり 後藤田正晴氏との縁

大川総裁の霊言では、以前、後藤田正晴さんの守護霊霊言もありました(注3)。その時、後藤田さんの守護霊が戦国時代に、竹中半兵衛として生まれていたことを語っています。長谷川先生は、生前の後藤田さんとはお付き合いがありましたか?

笑い話がありましてね。後藤田さんが官房長官をしている時に、うちに電話がかかってきました。徳島で講演会をやるので、そこに来てくれないかと。家内がその電話を受けたんですが、スケジュールを聞いて「週末にうちの主人は仕事をしません」と言って電話を切った。実話ですよ(笑)。家に帰って家内から聞いて、泡食ってすぐ官邸に電話しました。中曽根内閣では「長谷川慶太郎の奥さんはすごい」と有名でしたよ(笑)。

(笑)個人的に意見交換などもされていたのですか?

してましたよ。その講演のときも飛行機で一緒に行ったんですが、そのころは円高がどんどん進んで経済界は大騒ぎでした。そこで、「円高で大変騒いでいるが、あれは抑えられますよ。為管9条だ」と私が言ったんです。外国為替管理法第9条に、「大蔵大臣が必要と認めた場合、市場を閉鎖できる」(注4)と書いてある。それを官房長官はすでに知っていました。

元警察庁長官の後藤田さんがそこまでわかるとはすごいですね。

為管9条をスパッとわかる人はなかなか少ない。そういう会話をして、たいへん楽しかった。飛行機を降りた後、秘書官に、「あんなに機嫌のいい大臣は見たことありません。どんな話をしたんですか?」って何度も聞かれました。

(注1)2013年4月11日に収録された公開霊言「長谷川慶太郎の守護霊メッセージ」より。
(注2)1544 年、現在の岐阜県にあたる美濃に生まれ、独特の戦術を駆使して織田家を苦しめたことが豊臣秀吉の目にとまり、後に家臣となった。知略を尽くして活躍したが、36歳の若さで病死した。
(注3)2012年8月12日に収録された公開霊言「カミソリ後藤田、日本の危機管理を叱る―後藤田正晴の霊言―」で、政治家の後藤田正晴氏の霊は、竹中半兵衛の生まれ変わりであることを明かした。
(注4)現在の「外国為替及び外国貿易法」(略称「外為法(がいためほう)」)。

黒田官兵衛って何をした人?

豊臣秀吉が天下を取れたのは、官兵衛がいたからだと言っても過言ではない。生まれは現在の兵庫県にあたる播磨国姫路。織田信長が播磨に勢力を伸ばしてきた際、いち早くその実力を見抜いて織田側につき、当時信長の部下だった秀吉の軍師となる。官兵衛の軍略を存分に活かし、秀吉は中国地方、四国地方、九州地方を次々と勢力下におさめていった。

官兵衛が得意としたのは、敵に投降するよう説得し、戦わずして勝つことだ。秀吉の小田原攻めの際、なかなか落城しなかった小田原城に一人で説得に乗り込み、無血開城させている。秀吉の死後は、次の天下人は徳川家康と見極め、徳川に味方する。官兵衛は戦乱のなか見事な先見力で、信長、秀吉、家康という三人の「天下人」に仕えたのだ。

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