体罰を受けた高2生徒の自殺 教育界に善悪の価値判断が必要

2013.01.11

大阪市立桜宮高校で昨年12月、バスケットボール部の顧問から体罰を受けていた男子生徒が自殺した事件で、以前からこの顧問が体罰を行っていたと市に通報があったにもかかわらず、調査を行った市教委が、学校に対して生徒への聞き取りを指示しなかったことが9日、判明した。

この事件から、同校の問題点が次々と明らかになってきている。

まず、同校で過去にバレー部でも体罰が行われていたことが2011年9月16日に発覚し、別の顧問教諭が停職3カ月の処分を受けていたことも明らかになった。しかし、この教訓は活かされなかった。

また、2011年9月7日には大阪市の公共通報の窓口に対し、バスケ部顧問が体罰を加えているという通報があった。これを受けて市教委が調査をしたが、学校側に指示したのは「顧問への聞き取り」のみだった。校長が顧問に確認したところ、体罰は「していません」と回答したため、校長は市教委に体罰はないと報告したという。外部から通報を受けたにもかかわらず、当事者の一方である顧問本人にしか聞き取りをせず、生徒側への聞き取りをしないというのは、常識では考えられない対応だ。

生徒の自殺後に学校がバスケ部員50人に行ったアンケートによると、部員21人も体罰を受けており、ほとんどの部員は顧問が体罰をしているのを見たことがあると答えている。通報時に生徒への聞き取りをしていれば、自殺も防げた可能性が高い。

過去の教訓が生かされなかった上、外部からのチェックも機能していない。顧問自身も「していない」と嘘の証言をし、学校も教育委員会も隠蔽の意図さえ疑われる事なかれ主義に終始している。体罰を目撃していた副顧問らも、顧問への恐怖からか、体罰を止めることも報告することもしていない。結局、学校のなかに善悪の判断基準がなく、したがって正義も失われているケースの一つだろう。

正義や正しさの基準となるのは、根本的には神仏の教えであり、教育の世界にも基本的な宗教的価値観が入らなければならない。人間の本質は魂であり、その魂は神仏によってつくられた、無限の可能性を持つ存在である。それを認識すれば、教師が生徒を指導する際にも、暴力に頼るのではなく、生徒の可能性を信頼した上で言葉によって導き、気付きのきっかけを与えることが基本であると分かるはずだ。(晴)

【参考記事】

2012年9月7日付本欄 中1生がいじめ自殺か 外部の目を入れるシステムが必要

http://www.the-liberty.com/article.php?item_id=4833

2012年12月20日付本欄 第三者委が「いじめで自殺」と結論 いじめ「隠蔽」を許すな

http://www.the-liberty.com/article.php?item_id=5339

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