ハンディに負けずに「夢」を叶えた! ──「習慣」で道を開いた人たち
2021.11.28
「成功しない理由」がたくさんあっても、大きな仕事を成し遂げた成功者は数多くいる。彼らはいかに「習慣」の力を使ったのだろうか(本誌2015年3月号より再掲。肩書は当時のもの)。
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学歴の不足を「習慣力」で補った
アーノルド・ベネット(1867~1931)
イギリスの作家アーノルド・ベネットも、裕福ではない家庭に生まれ、中学卒の学歴しか得られなかった。だが彼は、自分に与えられた資源である「時間」を生かし、教養人の道を歩んだ。
作家として独立する前の彼は、弁護士事務所や雑誌の編集部に勤めていたが、毎日同じ時間に書斎に入り、午前中に執筆の時間をとり、規則正しいペースで働くことを習慣付けていた。忙しい中でも「1日90分を自分の向上のために使う」ことを心がけた。
名著『自分の時間』は、ベネット自身の知的生活の体験をつづったもの。「時間」を生かすことで道が開けることを示した本書は多くの人に励ましを与え、自動車王のフォードも500冊購入して従業員に配ったという。
クビ寸前の無名投手から、「続ける力」で200勝達成の最年長投手になった
山本 昌(1965~)
中日ドラゴンズに所属する山本昌選手は、50歳の今も現役。日本プロ野球の歴史において最年長選手にして、史上24人しかいない通算200勝投手の一人だ。
そんな山本選手だが、入団当時はドラフト5位の無名選手。股関節が外側を向いていて、投手として活躍する上で致命的な欠点となりうるため、コーチからは「野球選手として大成しない」と言われた。球速も130キロ前後で、常にクビの危機にさらされていた。
しかし、自分のことを「凡人」と自覚していた山本選手は、すぐに結果が出なくとも愚直な努力を怠らず、筋力トレーニングと走り込みを継続。高校時代から始めたダンベルトレーニングは、30年以上続けている。こうした努力が実を結び、年齢を重ねるにつれて球速はアップ。アメリカ留学時代に覚えたスクリューボールのキレも磨いた。鍛錬で得た筋力と柔軟性は、ケガの少なさにもつながっている。
継続は力であり、自信をつくる。才能に恵まれなかったからこそ、「続ける力」によって、200勝の偉業を達成できたのだ。
才能や体格のハンディを補うだけの強みを作り、世界レベルの選手に成長した
長友 佑都(1986~)
サッカー日本代表で、世界屈指のクラブチーム、インテルに所属する長友佑都選手は、「自分にはサッカーに関する天性の能力はなかった」と語っている。身長も170cmと小柄で、スポーツ選手としては恵まれた体格ではない。走力も体力も人並み程度。小学生の時には地元の名門チーム愛媛FCの選考に落ち、大学に入るまでは無名選手だった。
それでも彼は諦めず、中学の時から始めた走り込みの習慣で、ゲーム終盤になっても衰えない「持久力」という強みを磨いた。また、小さな体で外国の屈強な選手と互角に渡り合うためにはバランスが大事だと考え、「体幹トレーニング」を重ね、この分野の著書も持つほどに。
さらには、毎日10分自分の心と向き合う習慣を持ち、プレッシャーのかかる試合本番でも実力を存分に発揮できるよう万全の準備を行う。日々のストイックな努力が、現在の長友選手の活躍を支えている。
【関連書籍】
『智慧の法』
幸福の科学出版 大川隆法著
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