【地域シリーズ・鹿児島】西郷どんだって そうだった! - ゼロから富を生む「創造力」
2017.11.29
鹿児島市の名勝・仙巌園からのぞむ桜島。
2018年1月号記事
地域シリーズ・鹿児島
何もなければつくればよか
西郷どんだって そうだった!
ゼロから富を生む「創造力」
2018年のNHK大河ドラマ「西郷どん」で注目を集める鹿児島は、不利な環境に負けず、富を生んできた。
明治維新150周年を目前に控えた鹿児島を訪れ、その心意気と「創造力」に迫った。
(編集部 河本晴恵/写真 岡本淳志)
History
海辺を切り拓き日本近代化の拠点へ
幕末、いち早く国際情勢の変化を感じ取った薩摩藩は、一大事業を立ち上げた。
秋口にもかかわらず半袖姿の職人たち。窯から取り出した鉄棒の先には、真っ赤に熱せられたガラスの塊が光っていた。何の変哲もないガラスから、職人は高級工芸品である「薩摩切子」を生み出していく。
1863年の薩英戦争で工場は破壊され、明治初期には途絶えていた。残っていた薩摩切子と資料を基に1985年から復元が始まり、鹿児島の新しい名産品となっている。
薩摩藩のガラス産業は1846年、島津家27代斉興の時代に始まる。鹿児島は火山灰が多く、穀物が育ちにくい。そこで新しい産業をつくろうと、医薬品の製造を始め、薬瓶をつくるためにガラス工場をつくった。そして28代の斉彬の時代、「世界への輸出品」を目指して生まれたのが薩摩切子だ。
欧米の植民地主義に対抗するため、島津家が藩をあげて「ゼロ」から立ち上げた一大事業だった。
「今はガスや電気を使いますが、江戸時代は『木炭』でガラスを溶かし、『棒状のやすり』などで磨いていたと聞いています。職人によほどの情熱がなければできなかったと思います」(薩摩ガラス工芸成形課課長代理 前岡紀光氏)
10月にリニューアルされた工房の見学コースでは、地元鹿児島出身の若い職人たちの活躍を見ることができる。
薩摩藩の「富国強兵」への取組み
いち早く「航空機」の重要性を見抜いた政治家・永田良吉
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限界集落をよみがえらせた「やねだん」
初の国産人工衛星を支えた女性たち
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