東日本大震災時に起きた、東京電力・福島第一原発の事故について、東京第五検察審査会は7月31日、東電の旧経営陣3人を業務上過失致死傷罪で強制的に起訴すべきだとする2度目の議決を公表した。8月1付各紙が報じた。

記事によると、審査会は今回の判断に至った理由として、2008年時点で15.7メートル程度の巨大津波による事故の危険性を示す試算が出ており、事故を予見できたにもかかわらず、回避措置を講じなかったこと。また、原発に関わる責任者は、万一の事故にも備える注意義務があるが、それを怠ったことなどを挙げている。

検察審査会は、ある事件について検察官が被疑者を起訴しなかったことがよかったのか否かを審査する機関。選挙権を持つ国民からくじで11人が検察審査員として選ばれ、そこで2度にわたって「起訴すべき」と議決された場合、被疑者は強制的に起訴される。

ここで注目したいのは、今回、起訴の判断を下した検察審査員が“素人"によって構成されるということだ。事件や法律に関して、フラットな立場で判断できるというのが狙いだろうが、「反原発」など偏ったマスコミが煽動する世論の空気に流されやすい、という欠点がある。

「強制起訴」される側の人間は、安易な感情論によって、繰り返し新聞やテレビで取り上げられ、社会的制裁を加えられるばかりか、限られた人生の持ち時間を奪われるなど、多くのモノを失うだろう。

また、今回の東電の問題に関しては、東京地方検察庁が「15.7メートルの試算は当時としては試験的な方法で行われたもので信頼性が低いうえ、同規模の津波に襲われる確率は100万年から1千万年に1回と低く対策の義務があったとは言えず、また実際に起きた津波の規模は試算の約5倍もあり、津波を想定できていたとは言えない」「08年の試算を受けて対策を講じたとしても事故を防げたと認めるのは難しい」などの理由から2度にわたり「不起訴処分」の結論を出している。(参考:1月23日付朝日新聞)

震災以降、過剰な反原発の風潮が強まる中で、法律よりも市民の感情などによって裁定が行われる「人民裁判」を彷彿とさせる。専門知識やプロの判断よりも「空気」によって左右されやすい一般人によって構成される検察審査会の判断は、果たして妥当なのか。(祐)

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