どんな誘惑にも負けない人間でも、この『失望』という名の楔を打ち込むと、そのあとから何でも入り込めるんですよ。(中略)そこで穴を開ければ、あとは猜疑心であろうが、疑いであろうが、嫉妬心であろうが、欲望であろうが、金銭欲であろうが、名誉欲であろうが、何でもかんでも入り込める。そして、狂わせられる」──。

大川隆法・幸福の科学総裁は1990年4月の法話「情熱からの出発」で、悪魔の言葉を紹介した後、失望せずに前進を続けるための方法を語った。

『情熱』、これしかない、そう思います。『失望』という名の楔を薙ぎ払うのは『情熱』です。そうだと思います。この情熱があればこそ、たとえ、心のなかに『失望』という楔を打ち込まれても、これを弾き返す力が出てくるのだと思うのです」(『大川隆法 初期重要講演集 ベストセレクション(3)』)

本誌7月号の「三人の文豪が見た『失望』の恐ろしさ」では、ゲーテ作の『ファウスト』では「真理探究者の失望」について、シェイクスピア作の『コリオレイナス』では「政治指導者の失望」について、そして、バニヤン作の『天路歴程』では信仰者が直面する「『疑い』と『失望』との戦い」について描かれていることに着目し、悪魔が人間の心に入り込むための武器である「失望」の楔をいかに跳ね返していくかについて考えた。

Web版では、2回にわたり、過去の宗教者(伝道者)たちが、どのように自らの情熱を奮い起こしていったのかについて紹介する。今回は、その前編。

「彼らを動かしているのは、名誉心でも、利得でもない。イエスの愛のために動いている」

大川総裁は、キリスト教の伝道者たちが「失望」という悪魔の楔に負けずに戦い続けたことについて、こう語っている。

キリスト教においても、伝道者たちは、あの赤道直下のコンゴでもどこでも乗り込んでいって、そうして、その苦しいところのなかにおいて、自らの使命を果たしております。

彼らを動かしているものは、彼らの名誉心ではありません。利得でもありません。彼らはイエスの愛のために動いているのです。彼らの師であり親であるところのイエスは、愛の人であった。与え続けた人であった。

そのイエスに学んだ以上、与え続けることが己の使命であると思って、そのような悪しき環境においても行動ができたわけであります」(前掲書)

歴史を振り返れば、日本に初めてキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエル(1506~52年)も、そのような伝道者だった。

ザビエルがインド伝道への旅路で見せた献身と隣人愛

パリ大学の学生だったザビエルは、イエズス会の創立者となるイグナチウス・ロヨラと出会い、この世の栄達を棄て、人の魂を救う伝道者となる。「全世界を手に入れたとしても、自分の魂を失ったなら、あなたにとって何の意味がある」というロヨラの言葉に魂を揺さぶられたからだ。

ザビエルは魂の救いを体験し、神の愛を世界に伝えるべく船に乗ったが、その旅路は試練の連続だった。その「サンチャゴ号」は病院船さながらであり、日夜病人の看護に明け暮れる日々が続く。ザビエルは用意された船室にはおらず、甲板上に眠り、縄をもって枕とし、水夫と寝食を共にし、病人をいたわっていた。