文部科学省が、大学入試改革の一環として、各大学に対し、入学者の「受け入れ方針」や、卒業させる学生像を明確に定める「卒業方針」の策定を義務付ける方針を決めたことを、14日付毎日新聞が一面のトップ記事で報じた。政府の介入を強めるもので、識者からも批判的な意見が出ている。

記事によると、文科省は各大学に対し、入学者の「受け入れ方針」では、大学の強みや特色、それに沿った入試で重視する能力などを明示して、「入学してほしい学生像」を示すことを求める。また、「卒業方針」では、学生に身につけさせる学問や、社会に送り出す具体的な卒業生像を示すことを求める。

文科省は、しっかりとした学生を社会に送り出す責任を果たす大学を財政的に支援して、改革を加速させる方針で、来年度中に省令である大学設置基準の改正を目指すという。

だが記事では、教育行政学の学者の意見として、次のようなコメントを紹介している。「大学の自主的な改革を否定すると、現場が混乱する可能性がある。また、国が求める基準を満たさない大学、学生が排除されかねない。そういう意味では強引な印象を受ける」

確かに、政府が「理想の学生像」を決め、それに沿わない場合、その大学は認められないというのであれば、「教育における政府の介入が強まる」危険な改革と言えるだろう。

さらに邪推すれば、政府の意向に従う大学には財政的に支援するということは、少子化の中でしのぎを削って学生集めに奔走している大学、特に私立大学を「金で飼い慣らす」ことを意味するのではないか。一度、補助金を与えた大学にも、補助金の打ち切りなどをちらつかせて圧力をかけることもできる。

例えば、アメリカでは、私立大学をつくる場合、基本的に州政府による認可を受ける必要があるが、州によってばらつきがあり、バージニア州やカリフォルニア州では、数ページの書類審査のみ。教育内容には、ほぼ言及せず、教育の質のチェックは民間団体に任せられている。アイダホ州に至っては、民間団体の認定を受けていることのみが、州政府の認可要件となっている。

文科省は「改革」という耳に心地よい言葉を使っているが、実はそれが「改悪」であり、学問の自由をせばめる方向に進んでいることに注意したい。つまり、文科省は「大きな政府」を目指しているわけだが、大学改革の前に必要なのは、さまざまな規制の撤廃であり、学問の自由を国民に保障する「文科省改革」だろう。(晴/格)

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