2015年4月に開学を目指していた幸福の科学大学について、「不認可」の判断を下した文部科学省。「不認可」の理由として、「霊言が背景にある思想は学問として認めない」という点に加え、「大学設置認可の強要を意図すると思われるような不適切な行為があった」という点を挙げている。
これだけを見れば、幸福の科学大学側が大変な不正を行い、圧力をかけたかのような印象を受ける。だが、10月29日付けで大学設置・学校法人審議会から文部科学大臣に答申・報告された文書を読めば、幸福の科学大学側に「不適切な行為」などなかったことが分かる。
「幸福の科学大学(仮称)の審査過程における申請者の不適切な行為について」と題された報告書(文部科学省のホームページで公開)には、幸福の科学大学が審査過程において行ったという「不適切な行為」が列挙されている。
一つ目は創立者の大川隆法氏を著書とする大学新設に関連する書籍が数多く出版されたこと、二つ目は幸福の科学グループから本審議会の委員に(書籍が)送付されたこと、三つ目は大学設置認可に関係すると思われる人物の守護霊本が複数出版されたこと、の三点である。
だが、上記の一つ目および三つ目は、「言論・出版の自由」(憲法21条)、二つ目は「信教の自由」(憲法20条1項)で保障された正当な行為である。
なぜこれが「不適切な行為」とされなくてはならないのか。
同報告書には、「(大学設置認可は)認可申請書をもとに、書面、面接又は実地により行う」という「大学設置分科会審査運営内規」があるため、「学校法人幸福の科学学園による上記の行為は、大学設置認可制度の根幹を揺るがすおそれのある問題」だと説明されている。
これでは、憲法に保障された国民の権利よりも、行政上の手続きを円滑に進めるために定めた内規の方が重要であると言っているようなものだ。さらに言えば、「大学設置の審議中は、憲法に定められた国民の権利や自由が、一部制限されてもやむを得ない」「行政に事業等の申請を行っている間は、国家権力に対して物申すことや批判的な言論は許されない」という主張にすら聞こえる。
今回のような判断がまかり通れば、国家機関の都合で簡単に人権が踏みにじられることになりかねない。
憲法で保障された行為を行った幸福の科学大学および幸福の科学グループの行為を「不適切」「不正」と断じ、そのような印象操作を行った文部科学省こそ「不正」であると言わざるを得ないだろう。(佳)
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