10月末、文科省は幸福の科学大学の設置を「不認可」とした。その結論に至った理由として、文科省の大学設置審議会は、同大学の創立者である大川隆法・幸福の科学グループ創始者兼総裁が行っている「霊言」を捉えて、「霊言を根拠とした教育内容そのものが学問として認められるものではない」とし、その根拠を「霊言は大川総裁のみが行えるとされ、科学的方法に基づく実証可能性や反証可能性を有しているか否か疑義がある」などとしている。

だが、「霊言が背景にある思想は学問として認めない」という判断は、宗教と学問の両方の見識を著しく欠くものであり、文科省によるこれまでの教育行政を自ら否定するものに他ならない。

世界宗教と言われるキリスト教、仏教、イスラム教には、いずれもその教義の根幹に霊言によって語られた思想が流れている。イエスは、「天の父が自らのもとにやって来て、この言葉を語っている」という趣旨のことを何度も述べている。また、仏典には何度も、釈尊と「神々との対話」「悪魔との対話」が記されている。イスラム教においては、ムハンマドが霊言によってガブリエルの言葉を伝え、その内容から聖典コーランが出来上がっている。宗教は天の声を霊言で伝えるところから始まっているのだ。

日本にはすでに、数十校以上のキリスト教系大学、仏教系大学が設置されている。これらの大学では当然、聖書に書かれてあるキリストの言葉や、仏典に出てくる仏陀の思想を学問として教えている。牧師や僧侶になるための僧職者課程まで存在している。

「霊言が背景にある思想は学問として認めない」ならば、これらの宗教系大学はすべてその正当性を否定されることになる。

設置根拠を覆されるのは、伝統宗教の大学だけではない。

天理大学は天理教の精神に基づいて建学されており、カリキュラムには「伝道課程」があるなど、天理教の教えに基づく人間の生き方を探究している。この天理教の創始者である中山みきは、神がかりとなって霊言を行い、その際に語った内容が教義となっている。つまり、天理教も霊言宗教であり、今回の文科省の判断に沿うならば、大学設置の条件を失ったことになる。

宗教系大学もさることながら、「霊言が背景にある思想は学問として認めない」という観点に立てば、全国の大学で講義されている「宗教学」自体が学問として認められないことになる。

宗教系大学ならびに宗教学の設置をこれまで認可してきたのは、当の文科省であり、これは自己矛盾以外の何物でもない。下村大臣にはぜひこの甚大な矛盾を、明快かつ説得力あるかたちで弁明していただきたい。

宗教系大学が世界各国に存在していることを見れば、今回の文科省判断は国際的にも極めて常識外れと言わざるを得ない。

【関連書籍】

幸福の科学出版 『大学設置審議会インサイド・レポート』 大川隆法著

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