中国の南シナ海への乱暴な進出に対して、フィリピンやベトナムが抗議しています。フィリピンは、南沙諸島の岩礁を中国が埋め立てている証拠写真を公開。ベトナムでは中国が西沙諸島付近で石油採掘を始めたことに対する反中デモが起きています。

そもそも、南シナ海の島をめぐる領有権争いは、どのように起きたのでしょうか?

南シナ海には東沙諸島・西沙諸島・中沙諸島・南沙諸島の4つの群島があり、そのうちの西沙諸島と南沙諸島が、争いの舞台となっています。

第二次世界大戦で日本が敗北するまでの約20年間は、日本が南沙諸島と西沙諸島を領有していましたが、敗戦後、サンフランシスコ講和条約で日本は両諸島に対する「すべての権利、権限および請求権を放棄」しました。しかしその時、帰属先が明らかにされなかったため、南シナ海沿岸諸国が領有権を主張するようになりました。

西沙諸島には永楽諸島と宣徳諸島があり、永楽諸島は南ベトナムが、宣徳諸島は蒋介石の中華民国が領有を宣言しました。ただ宣徳諸島の領有権はその後、毛沢東の中華人民共和国が引き継いでいます。中国は1974年1月に軍事力で永楽諸島を含む西沙諸島全域を占領。同諸島の軍事基地化を進め、88年には宣徳諸島の永興島に滑走路を建設しました。

南沙諸島は230あまりの島から成り、それぞれを台湾、ベトナム、フィリピン、マレーシアなどが領有していました。しかし1987年4月、中国政府は「適当な時期に南沙諸島の島を取り戻す権利を留保している」との声明を発表し、無人のサンゴ礁の上に海軍基地を建設。200海里の排他的経済水域と大陸棚の権利を主張し始めました。さらに90年代初頭にはフィリピンが占領していたサンゴ礁に「中華人民共和国」の領土標識を立て、ミスチーフ礁には人工建築物を建て、実行支配し始めました。

このように、中国は本来ベトナムやフィリピンの領土、あるいは領有権に争いがある島を占領し、今日に至るまで不当に支配し続けています。中国は、南シナ海を中国が領有する根拠を「9段線」にあるとしています。9段線は、中国で発行される地図に描かれているもので、南シナ海のほぼ全域を囲んでいます。1947年に中華民国が地図を作成した際に引いた11本の境界線を引き継ぎ、49年に9本に修正したものです。しかしこれは国際海洋条約の原則に当てはまるものではなく、中国の一方的な暴論と言えます。

中国のこれ以上の海洋進出を防ぐためにも、西太平洋の国々は共同して中国の横暴に対処する必要があるでしょう。(飯)

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