67年前の1947年5月3日に、現在の日本国憲法が施行された。改めて、「憲法」とは何なのかを考えてみたい。

最も注目を集めている憲法上のテーマは、「憲法9条」と「集団的自衛権」についてだ。安倍首相は、集団的自衛権の憲法解釈を巡って、内閣法制局や公明党と見解を異にしているが、今年末の日米ガイドラインの改訂までに、憲法解釈の変更を閣議決定して、集団的自衛権の行使を容認しようとしている。

しかし、集団的自衛権の議論に焦点が当たり過ぎて、より本質的な「9条全面改正」が先延ばしにされてはならない。9条が国防の「障害物」となって、中国などによる領空・領海侵犯にも満足に対処できず、竹島や拉致被害者を取り戻すこともできず、国連の平和維持活動にも十分に参加できないでいる。世界5位の国防費を誇る国でありながら、「自衛隊は軍隊でない」と固持する自己欺瞞を改めなければならない。

67年間、現行憲法は一度の改正もなく、維持されてきた。だが、日本の防衛を肩代わりしていたアメリカの衰退と、隣国・中国の軍事拡大の中、国家として存続するためには、9条をはじめとする憲法の見直しが不可欠である。

これは明らかに国家存亡の危機だが、見方を変えれば、チャンスでもある。マッカーサーを中心に、GHQ職員30名弱で条文が作成され、公職追放や厳しい検閲の中で制定された「押しつけ憲法」を改め、念願の「自主憲法」を制定することにつなげたい。

「憲法守って、国滅ぶ」ということがないよう、憲法を改正し、独立して防衛できる国家にしなければならない。それは実は、日本国民の幸福追求権のためだけではない。対中抑止力を日本に期待するフィリピンやベトナム、インドネシア、マレーシア、インド、オーストラリアなどの近隣諸国、債務超過と国防費削減に苛まれているアメリカにとっても福音となるだろう。9条を改正した方が、本当の意味で未来の日本と世界に愛される「平和憲法」となるのだ。

そして今、真の「自主憲法」を制定するために、憲法の背景にある「法哲学」にまで踏み込んだ議論が必要だ。具体的には、「天皇陛下か内閣総理大臣(大統領)のどちらを国家元首に置くか」「これからも政教分離は必要か」「マスコミの報道の自由は無制限に認められるのか」などの問いに答えていく必要がある。

それは、日本独自の格調高い憲法を作ることでもある。日本の誇りは、神道や仏教、儒教、古今東西の諸学問全てを包含した精神性の高さだ。それを、現行憲法の前文のようなチグハグな日本語ではなく、美しい大和言葉によって、憲法に体現させることが望ましい。

1500年以上前に聖徳太子の作った十七条憲法は、「近代憲法」とは言えないが、「国家の理想」を最もよく表した憲法として、今もなお、日本人を惹きつけている。9条の改正をはじめとするプラグマティックな議論のみならず、次世代から喜ばれる憲法の構想も、これから必要になっていくだろう。現代日本も、十七条憲法のように、「愛される憲法」を制定したい。

(HS政経塾 森國英和)

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