天皇皇后両陛下がフィリピン訪問を終えられ、ご帰国された。

天皇陛下は、フィリピンのアキノ大統領を迎えた宮中晩餐会の挨拶で、フィリピンが日米激戦地となり、多くの方が亡くなったことに対して、「日本人が決して忘れてはならないことであり、このことを深く心に置き、旅の日々を過ごすつもりでいます」とのお言葉を述べられた。

しかし、それに対してアキノ大統領は、「フィリピン国民の抱く敬愛の念と歓迎の心に再度触れられ、前回にも勝るほどのよい思い出を携えて頂きたい、これが我が国民一同の願いです」と、日本に対しての敬愛と歓迎の念を送った。

ここに、過去の戦争に対する日本とフィリピンの認識のギャップが現れているように感じられる。

フィリピンにおける日本

第二次大戦中、フィリピンはアメリカの統治下に置かれていた。アメリカは、フィリピン人に英語を強要し、自国民が作った製品を一方的に売りつけるなどの植民地政策を行っていた。

こうした中、アジアの植民地解放を目指す日本は、終戦まで約51万8千人の日本兵を犠牲者にしながら、フィリピンでアメリカ軍と戦った。初代フィリピン大統領ホセ・ペ・ラウエレルは、戦時中の日本を以下のように語っている。

「大日本帝国は、今次聖戦の完遂により、大東亜の諸被圧迫民族を解放せんとする使命に則り、フィリピンにおける西洋の支配を排除し、フィリピン国民をして独立準備委員会を認識せしめ、もって多年の願望たりし自由を実現し、独立国としての憲法を採択し、かつフィリピン共和国建設のため、必要なる一切の措置を執ることを得しめたり。」(『世界が語る大東亜戦争と東京裁判』(吉本貞昭著)より)

当時アメリカの植民地支配に苦しんでいたフィリピンの人々にとって、日本軍は希望の星だったのだ。また、こうした声は、タイやマレーシアなど他のアジアの国々からもあがっている。

いつまで「反省」を引きずるのか

日本国内では、日本はアジアの国に苦痛を与えたという自虐史観が蔓延しているが、現地での評価は全く違う。

例えば、日本で否定的なニュアンスで語られることが多い特攻隊は、フィリピンでは称賛の対象だ。「神風特攻隊」が使用した飛行場の跡に、特攻隊をたたえる公園が作られ、特攻隊員の像まで建てられている。また、「神風特別攻撃隊慰霊祭」も行われている。

アキノ大統領は、「我が国の海上能力や災害管理能力の強化をも支える重要なパートナーであり、アジアにおける法の支配を推進する力強い同盟国でもあります」とも述べている。南シナ海で中国などと問題を抱え、危機を感じているフィリピンにとっては、日本に反省を求めるより、アジアにおける責任を果たしてほしいと期待しているのだ。

日本は、いつまでも間違った自虐史観を引きずっていてはいけない。自虐史観を払拭し、アジアを平和に導くリーダーの責任を果たすことが、真に求められているのではないだろうか。

(HS政経塾 水野善丈)

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