2024年4月号記事

明治維新のやり直し

明治維新は「平和裏に成功した革命」だったが、その中に日本を揺るがす「失敗の種子」があった。


contents

明治維新のやり直し - Part 1 あまりに残酷な廃仏毀釈


明治維新の肯定的な歴史観を打ち立てた代表的人物は、作家・司馬遼太郎である。明治維新を成し遂げた日本が近代国家として歩み始め、日露戦争の勝利に至るまでの歴史小説は圧巻であり、多くの日本人を勇気付けている。

だがそんな司馬遼太郎でさえ、絶対に書きたくない時代があった。満州事変や対米戦争に突入していく昭和である。著書『「昭和」という国家』でこう語っている。

「(戦争に向かう)昭和元(1926)年から昭和二十(1945)年までは異常である。(中略)日本史の中の鬼っ子といいますか」、「昭和というものを書く気もおこりません。(中略)書いたらですね、おそらく一年を待たずして私はおかしくなりそうですね」

司馬遼太郎は昭和期と他の時代があまりにも異なるために「鬼っ子」(両親に似ていない子供)と表現し、昭和の"解明"を後世の人々に託した。

そんな中、大川隆法・幸福の科学総裁は、昭和の「暗い側面」は明治維新に起因していると一貫して説いている。

日本を世界の大国へと押し上げた明治政府の富国強兵への努力は間違ったものではなかったとしつつも、明治維新は「やや中途半端な革命」だったと指摘(*1)。

日本が先の大戦で敗れた原因は、実は明治維新の影の部分にあったとし、「明治維新でやり損ねた部分を、やり直さなければいけない」と精神革命の必要性を訴えているのだ(*2)。

「明治維新でやり損ねた部分」が先の大戦の敗戦に直結したという歴史観は、一般的なものとは大きく異なる。日本の「常識」を覆す見方を紹介したい。

(*1)『政治に勇気を
(*2)『政治と宗教の大統合

※文中や注の特に断りのない『 』は、いずれも大川隆法著、幸福の科学出版刊。

 

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あまりに残酷な廃仏毀釈

Column 「仏罰」を感じて手を止めた人たち