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《本記事のポイント》

  • "棺を抱えた放浪"が象徴する現代イスラム社会の悲愴
  • 過去と未来をつなぐ「現代」の不在が意味するもの
  • 待望される、"世界の痛み"への新たな癒し

荒涼とした冬景色のトルコ南東部。年老いたムサは、故郷の地に埋葬するという亡き妻との約束を守るため、孫娘のハリメを伴って2人で遺体を納めた棺とともにヒッチハイクを続けている(ムサたちはシリア出身のクルド系難民と思われるが、具体的な説明はない)。

旅路で出会うさまざまな人々、2人を待ち受ける時代情勢、宗教的な信念に対する現代社会の冷淡さなどを通して、現代イスラム社会に生きる人々が抱える、苦難の諸相が浮かび上がる。

トルコ次世代の才能といわれるベキル・ビュルビュル監督作品。映画監督・小津安二郎を敬愛し、作品のワールドプレミアに東京国際映画祭を選んだ本作は、その後世界中の映画祭を回り、グランプリ、審査員特別賞など数々の賞賛に輝いている。

"棺を抱えた放浪"が象徴する現代イスラム社会の悲愴

まず気になるのが、荒涼としたトルコの丘陵地帯を、事前準備や旅程計画もなしに、重い棺を抱え、少女を伴いつつヒッチハイクで辺境の国境を目指すという老人ムサの無謀さだ。

通りがかる車がないと、ハリメの玩具を奪い取り、その車輪を棺の担ぎ棒にくくりつけ、トボトボと引きずっていく。野犬の群れがたむろする中、洞窟で野宿する。メッカに礼拝しつつ、頑なに国境を目指していく敬虔な老人。孫娘は時に叱りつけられ、あきらめの境地で引きずられるように、仕方なくついて行く。

老人ムサの心中にあるのは、誓いどおり妻の遺体を故郷に葬るということのみ。ひたすらに過去への追憶にその心は向かっていて、まだ十代前半のハリメの将来を気にかける様子もない。

ロケは一貫して重苦しい暗雲が垂れこめる中で行われ、この旅がその始まりから抱えている絶望感を見事に際立たせている。スクリーンに一貫して流れている悲愴感はなんとも象徴的で、見るものにさまざまな解釈の余地を与える。例えば、この棺(過去)を引きずる老人は、旧弊なしきたりや伝統に固執し、現実や未来に目を向けない頑なな人間のカリカチュアとも言え、新しい未来に向けて、もがき前進しようとする若い世代の"足かせ"となっているようにも受け取れる。

過去と未来をつなぐ「現代」の不在が意味するもの

そして、次に気になるのは、孫娘ハリメの両親の不在である。おそらく既に亡くなっているのだろうが、老人ムサと孫娘をつなぐ役割であるはずの夫婦は、ハリメが大切に所持しているスケッチブックの中にわずかに垣間見えるだけだ。

ハリメはムサが寝静まるのを待って、密かにスケッチブックを開き、両親の思い出に浸る。また、スケッチブックには、爆弾を投下する爆撃機が大きく描かれていている絵もあり、この家族が幾多の生死の境を潜り抜けて来たことが示唆されている。

ハリメの手にはひどいケロイド状の火傷の跡もあり、彼女は人前では決して手袋を外すことがない(ハリメ役のシャム・セリフ・ゼイダンはシリア生まれで、戦争のため2017年にトルコに移住)。しかし、ハリメは、男女が握手をしている絵を新たに描いているところをムサに見とがめられ、はしたないとして破られ、火の中に投げ入れられて燃やされてしまう──。

ハリメは終始無言で、ムサの理不尽とも思える旅路にただつき従っていく。本来助け合わなければいけないはずの老人と孫娘の間に横たわる冷たい断絶が、肌寒く荒涼とした景色の中で浮き彫りにされる。

寓話的に描かれる2人の関係にはさまざまな解釈が可能だろうが、例えば、トルコ建国の父・アタチュルク以来進められてきた近代化、西洋化にもかかわらず、EU加盟を拒まれ、イスラム回帰を志向する現エルドアン政権下に生きるトルコの人々の心情のようにも思える。

あるいは、内紛が続く母国を後にし、地中海を渡ってヨーロッパでの豊かな暮らしを夢見て決死行をした中東やアフリカの難民の若者たち(本作品中にも、着の身着のままで国境を越えてトルコに流れ着く人々が象徴的に登場する)が、出口を塞がれていることの象徴のようにも見える。それは、過去とも未来とも断絶した現代を生きざるを得ない、イスラム圏を始めとした非西欧諸国の人々の苦難と"魂の痛み"を象徴しているかのようだ。

待望される、"世界の痛み"を癒すもの

2人は遺体を持ち歩いていることにより警察に拘留されてしまう。

保護されたハリメは警察署の女性事務員からミルクとビスケットを振る舞われるのだが、口をつけようとしない。女性事務員は気をきかせて、砂糖を加えてミルクを温め直し、ハリメに元気を出すように声をかけてコップを渡すのだが、手袋を外さないハリメは滑らせて落としてしまう。コップは地面に落ちて粉々に割れ、ミルクは警察署のコンクリートの床に無情にも吸い込まれていく。大変印象に残るシーンだ。

警察に代表される国や行政のサービスの拡充・充実では、彼らの心の空洞が埋まることがないことを暗示しているようにも見える。大川隆法・幸福の科学総裁が著書『地獄の法』の中で「一定の人類の知恵として福祉思想があること自体まで否定しているわけではありませんが、結果的には共産主義の代わりになって不平不満を吸収するためだけに、そういうふうになっていることもあります。ですから、これは、神仏の力を使わずしても、この世において、国家が財政破綻し、国が崩壊していくきっかけにもなっていると思います」と指摘しているが、いわゆるグローバルサウスと呼ばれる途上国の苦境を救うには、単なる先進国からの財政援助だけでは不十分で、この世界が抱える積年の精神的痛みを癒すことにはならないことを想起させる。

本作の監督ベキル・ビュルビュル氏が「私たちは誰もこの世に属していません。母親の胎内にいる時と同じように、私たちの口、鼻、目は、その時は何の役にも立たないにもかかわらず、来世への贈り物として与えられる器官です。同様に、私たちはこの世で非現実的な多くの感情や欲望を抱いています(すべてを手に入れたい、永遠に生きたい、鳥のように空を飛びたいなど)。このような神秘のサイクルを感じながら、私はこの映画を作りました」と語っている通り、それはやはり、人間の本質である魂とその渇きを癒す精神的なものを含んでいなくてはならないだろう。

人々の魂の奥底で疼く痛みに耳を傾け、その悲愴と断絶を高度な寓話性と象徴性で描いた本作は、苦しみもがく現代世界の深淵を切り取った、ある種の傑作と言えるだろう。

『葬送のカーネーション』

【公開日】
公開中
【スタッフ】
監督 ベキル・ビュルビュル
【キャスト】
出演 デミル・パルスジャン
【配給等】
配給:株式会社:ラビットハウス
【その他】
原題:Cloves & Carnations | 2022年 | トルコ・ベルギー合作 |103分

【関連書籍】

地獄の法

『地獄の法』

大川隆法著 幸福の科学出版

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