「イスラム国」が、北アフリカのリビアで、キリスト教の一派であるコプト教徒のエジプト人21人を殺害し、国際社会が強く非難している。公開されたビデオは「血塗られた十字架の国」に宛てられたもので、「我々はローマの南にいる」というメッセージが盛り込まれていた。

リビアとイタリアは、地中海を挟んで国境を接している。リビアからイタリア南部のシチリアまでは約500キロメートル程度で、これは東京‐大阪間とほぼ同じ距離だ。この状況に、イタリアはイスラム国の暴力の流入に神経を尖らせている。実際2014年に、リビアやトルコからイタリアに入国したのは17万人に上る。その中にイスラム国の武装勢力が紛れ込んでいたとしても特定することは難しい。

イスラム国のメッセージに対し、イタリアのマッテオ・レンツィ首相は、リビアの首都トリポリにある大使館を閉鎖し、将来的に軍事行動を起こす可能性を示唆した。

しかし、イタリアは2年前の欧州経済危機の後、軍事支出を40%削減しており、展開できる兵員はせいぜい5000人と言われている。その結果、レンツィ首相は、「今は軍事介入の時ではない」「我々は国連安全保障理事会の提案を待つ。国連の力は、単なる過激派武装集団の力を遥かに上回る」とした。

イスラム国の支配圏が広がれば、多くの不幸が生まれる。しかし、イスラム国がここまで広がった背景には、それなりの理由がある。それは、第1次大戦後、欧米の植民地政策で分裂させられたイスラム圏を「再統一したい」という思いに共感する人々が多いからだ。人質の殺害などの残虐な行為には必ずしも賛同しなくとも、統一というイスラム圏の人々の悲願は依然として存在する。

だが、イタリアの対応には目を覆うばかりである。イタリアは、欧州連合(EU) と共同安全保障防衛政策を掲げており、ソ連崩壊後、大きな軍事的脅威もなくなったため、長年国防をおろそかにしてきた。そのツケが回ってきたと言えるかもしれない。

日本が学ぶべき教訓は、国連や他国に頼っても、最終的に国を守ることはできないということだ。たとえ守れたとしても、それは自らの努力の結果ではなく、他国に自分の運命を委ねているに過ぎない。

一方、日本はこのイスラム圏と欧米圏の対立の仲裁役を担うべきだ。

現在、欧米諸国は、イスラム過激派を「悪魔の化身」と見立てて、民間人もろとも虐殺することを「正義」と見ている節がある。これまでの欧米の軍事介入は外科手術的な側面も見せてきたが、キリスト教的価値観に照らして理解できないものは、殲滅も辞さないという過激さがある。第2次大戦の日本への原爆投下がそれを示している。

かたやイスラム教国も、人命を軽んじる傾向が強い。古い慣習や恐怖心で人を縛り、それに反した人を簡単に殺すなどしているが、もっと人間の幸福について考える信仰へと、改革を図るべきだろう。

もちろん、宗教や民族、国や家族のために敵を倒したり、命を投げ出すことが美しい場合もある。だが、そこに「正しさ」や「真理」が失われ、「憎しみ」や「怒り」だけが増幅するのであれば、片方がもう一方を殲滅するまで争いは終わらない。

この憎しみの連鎖を止めるべく、キリスト教国とイスラム教国のどちらにも属さない日本は、「正しさ」を掲げ、双方の歩み寄りに尽力すべきである。それを実現するための智慧は、すでに存在している。(中)

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