高速を走るタクシーに直撃した後、基隆河に向かって墜落する航空機。画像はYouTubeより。

台湾の復興(トランスアジア)航空機が4日に墜落した事故で、これまでに機長を含む35人の死亡が確認されている。亡くなった方々のご冥福を心から祈りたい。

人命救助と事故状況の調査が進む中で、機長は住宅などがひしめく地域を避け、意図的に基隆河に墜落させていたことが分かり、台湾では称賛の声が上がっている。

台湾紙「自由時報」は、機長が河に墜落させたことについて、「(墜落直前の)最後の10秒でベストを尽くした」(4日付電子版)と報道。また、事故があった台北市に住む市民も、6日に放送されたテレビ朝日のニュース番組に対し、「機長は被害を最小限に抑えました」「努力して被害を少なくしたと思います。偉大な機長でした。最後に自分を犠牲にして、多くの市民が助かりました」などと語っている。

台湾で「神」になった日本軍人

被害を最小限に食い止めようとした機長の判断は称賛すべき行為だ。実は、台湾には約70年前にも、機長のような同様の行動をとり、民間人の命を守った日本軍人がいた。

太平洋戦争中の1944年10月、米軍が台湾を空襲した時、日本海軍兵曹長の杉浦茂峰は零戦に乗り、迎撃に向かった。しかし、奮戦虚しく、米航空機の被弾を受けた際、杉浦の機体の尾翼は燃え上がり、真っ逆さまに墜落。墜落する先には海尾寮という大きな集落があった。杉浦は、すぐに脱出すれば生き延びた可能性があったものの、機体の機首を上げて集落の外れにある畑に墜落させて脱出。だが、米軍機の機銃でパラシュートが打ち抜かれ、杉浦は墜落死した。

ところが、戦後、集落には不思議な夢を見た人が相次いだ。その夢とは、白い帽子と服を着た日本の若い海軍士官が夢枕に立つというもの。村人が村の守り神に尋ねたところ、その人物が杉浦であることが判明し、村人の命を救った杉浦に感謝を示すために、1971年に「飛虎将軍廟」を建立した。同祠は現在も守り続けられ、管理人が毎日、日本の国歌「君が代」や軍歌「海ゆかば」を捧げているという。

今回の機長がとった行動も、日本海軍の杉浦がとった行動も、自らを犠牲にして他の人の命を救おうとする尊い精神からのことだ。台湾には、そうした自己犠牲や責任感といった尊い精神を表す「日本精神(リップンチェンシン)」という言葉がある。まさに、両者は「日本精神」を貫いた人たちだ。(山本慧)

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