記者会見で、2014年の衆院選への候補者擁立を発表する、釈量子・幸福実現党党首。

2014年の衆院選で、比例ブロックに42人を擁立することを決めた幸福実現党。この政党の母体は、宗教法人・幸福の科学だ。

しかし、日本人は学校で「国家が神道と結びついて、悲惨な戦争を起こした」「その教訓を学び、宗教と政治は結びついてはならない」という政教分離規定を教わっている。そのため幸福実現党に関しても「政教分離に反する」と考える人は多い。この見方は正しいのか。

(1)政教分離は"国家"から"宗教"を守るもの

そもそも「政教分離」の主旨は、「政府が特定の宗教と組んで、他の宗教を弾圧してはならない」というものだ。国家権力をけん制し、宗教を守るものであり、「政治から宗教を閉め出す」というものではない。

実際に、内閣法制局は「政教分離」について、以下の主旨の答弁をしている。

  • 憲法の政教分離の原則とは、信教の自由の保障を実質的なものとする。
  • そのため、国およびその機関が国権行使の場面において宗教に介入し、または関与することを排除する主旨である。
  • 宗教団体が政治的活動をすることをも排除している趣旨ではない。

(1999年大森内閣法制局長官の国会答弁)

(2)宗教にも「結社の自由」がある

むしろ、「宗教は政治ができない」のなら、憲法上の「結社の自由」は、宗教団体に適用されない。「言論・出版の自由」にも制約がかかる。「宗教家であれば政治家になれない」なら、「職業選択の自由」まで侵される。憲法違反が軒並み状態になる。つまり、 宗教が政党を立ち上げることは、憲法上も当然の権利なのだ。

(3)「信教の自由」があれば、政教分離は要らない

政教分離に関しては、別の見方もある。国家神道が戦前、他の宗教を弾圧した反省から入れた条項が、結果的に逆効果になっているというものだ。

政教分離を"敢えて"憲法に入れたことで、「宗教は危険なものであり、日陰のものであるべきだ」という常識が広がっている。それが「オウム事件」などのマイナス印象と結びつき、宗教への強い偏見を生んでいるのだ。

憲法には、「信教の自由」のみ記載すればそれで十分と言える。

(4)世界では宗教と政治は切り離せない

しかし、海外諸国に目を転じると、宗教は政治と切り離すことができないもの。アメリカ大統領は就任式の際、聖書に手をおいて宣誓する。ドイツのメルケル首相も、キリスト教民主同盟という宗教政党の党首だ。

宗教は、近代政治の成り立ちとも密接な関係がある。アメリカの独立宣言では、人間の尊厳と人権の根拠が「神による人間の創造」にあるという記述がある。「人間は神に創られた」という宗教的信条は、近代的な人権思想や自由の源流でもあるのだ。

無神論の中国や北朝鮮を見れば、宗教の重要性がわかる。無神論の国では、権力者にとって、人間は"機械"でしかない。言論の自由は抑圧され、簡単に国民が粛清される。

憲法論的にも、世界的にも、歴史的にも、「宗教は政治に関わるべきではない」という考えは、普遍的なものではない。(光)

【関連書籍】

幸福の科学出版 『命を懸ける』 釈量子著

https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=1351

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2014年11月24日付本欄 自由の創設を目指す 幸福実現党の釈党首が著書『命を懸ける』を発刊

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2014年4月号記事 宗教を信じると、自由になる - 編集長コラム

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2013年8月号記事 祭政一致と民主主義は両立する?(ウェブ・バージョン) - 編集長コラム

http://the-liberty.com/article.php?item_id=6219