大東亜戦争における日本の敗戦後もインドネシアに残り、対オランダの独立戦争に従事した在留日本兵のうち、最後の一人だった小野盛氏(インドネシア名=ラフマット)が25日、死去し、英雄墓地に葬られた。

日本が戦った大東亜戦争には、アメリカを中心とするABCD包囲網で石油などの輸入を止められた日本が生き残りをかけた自衛のための戦争という側面と、アジアの植民地を解放するためという側面の2つの側面があった。

日本は、それまでインドネシアを支配していたオランダを退け、独立を見据えてインドネシア人を高職位につけ、学校を開いた。逮捕されていたスハルトなどの独立運動家を解放し、憲法を準備させた。また、独立戦争の主体となる郷土防衛義勇軍を結成させた。ただ、独立憲法の準備をしている最中に日本が敗戦したため、スハルトらは直後に独立を宣言した。

戦後も、約1000人の日本兵がインドネシアに残って独立戦争に参加し、およそ半数が殉じた。小野氏もまた、「日本が果たせなかったことを成功させよう」として参加。「陸軍歩兵操典」をインドネシア語に訳した市来龍夫氏は有名だが、小野氏は、市来氏の情熱や思想に影響を受けたという。

小野氏は独立後もインドネシアに残り、現地の女性と結婚。在留日本兵の互助会組織「福祉友の会」を結成し、インドネシアから日本への留学生に奨学金を給付するなどの活動をしていた。

8月17日の独立記念日の式典には残留日本兵として招待されていたが、体調を理由に欠席。地元テレビ局の取材を受け、「インドネシアはより発展しなければならない」とコメントしていた。

ユドヨノ大統領が昨年、日本の集団的自衛権の行使や、憲法改正による国防軍保有について、「完全に合理的な考え。防衛力を持った日本は地域安定のプラスになる」と発言。1990年代に"インドネシア人慰安婦"問題なるものが持ち上がった際にも、政府は「日本政府との賠償並びに財産及び請求権の問題は解決済みとの認識である」と切って捨てるなど、インドネシアは親日国として知られる。また、最大の輸出先は日本であるなど経済的結びつきも強く、さらに若者の間では日本アニメがブームだという。

インドネシアが親日国となった理由の一つに、インドネシア独立に命をかけた残留日本兵の活躍があったことを忘れてはいけない。その最後の一人は亡くなってしまったが、彼らの志を継いで日本とインドネシアとの繋がりはより太くしたいものだ。(居)

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