終戦間際の1945年6月に、中国国民政府の陸軍武官が米国からの最高機密情報として「日本政府が共産主義者たちに降伏している」と打電していたことを、11日付産経新聞がトップで報じた。先の大戦のナゾを解く大きなカギとして注目される。

同紙によれば、電報の内容は以下の通り。

  • 国家を救うため、日本政府の重要メンバーの多くが日本の共産主義者たちに完全に降伏(魂を明け渡)している。
  • 彼ら(共産主義者たち)は、全ての他国の共産党と連携しながら、モスクワに助けを求めている。
  • 日本人は、皇室の維持だけを条件に、完全に共産主義者たちに取り仕切られた日本政府をソ連が助けてくれるはずだと(米英との和平工作を)提案している。

当時、鈴木貫太郎首相を中心とする最高戦争指導会議でソ連を仲介とする和平案が国策として決まったのが6月22日。この電報は同日付で、中国陸軍武官が重慶の参謀本部に伝えた。

この「新事実」から改めて検証すべきものとして、戦後ほとんど顧みられることのなかった「近衛上奏文」の存在がある。近衛上奏文とは、日中戦争時の首相だった近衛文麿が、1945年2月に昭和天皇に上奏した文書だが、戦争責任者の一人である近衛がなぜこのような上奏をしたのかと疑問視されることが多い。

近衛上奏文は概略、以下のようなものだ。

「米英は天皇制の廃止までは考えていないので、今のうちに米英と講話を結ぶべきである。敗戦よりも恐れるべきは共産革命である。ソ連を中心に国内外の情勢は共産革命に向かって急速に進行しつつある。思えば、満州事変、支那事変、大東亜戦争まで引き起こしたのは、日本の革新を目的とする軍の一味の陰謀である。戦争終結のためには、この軍の一味が障害となる」

近衛自身が、ブレーンとしていた朝日新聞記者の尾崎秀実がソ連のスパイだったゾルゲの協力者として逮捕されるなど、自分も共産主義者たちに大きな影響を受けたことを認めた上で、当時の日本の主流だった「ソ連仲介による和平」ではなく、「英米との講和」を進言したのだ。

この近衛上奏文の内容が正しかったことは、その後の歴史が証明している。

ソ連のスターリンは、結局、日本を滅ぼすことによって共産主義革命を起こそうと画策していた。そのため終戦間際の8月9日になって、日ソ不可侵条約を一方的に破棄して日本に戦争を開始し、すでに負けが決まっていた日本軍と民間人に暴虐の限りを尽くした。

開戦時の首相として東京裁判でA級戦犯に問われ死刑となった東條英機の霊は、公開霊言でこう語っている。

「やはり、アメリカが間違ったと思いますよ。アメリカが(日本に)勝ったために、共産主義が、これだけ世界に広がって、何十年間もの苦しみを生んだのだ。本当の敵は、ソ連であり、中国であったはずなんですよ。戦後をにらめば、本当にやらねばならなかったのは、共産主義が広がらないようにすることであったと思う」(下記書籍参照)

アメリカが日本を戦争に巻き込み、ドイツに占領されかかったイギリスを救おうとした一方で、ソ連は日本とアメリカを戦争させ、日本の国体そのものを共産主義に変えさせようとしていたのだ。その目的は達成に至らなかったが、社会主義・共産主義国が戦後、世界の半分を占め、「東西冷戦」が40年も続いた。日本国内でも根深く残った共産主義思想は、戦後の左翼平和思想と合体して、空前の盛り上がりを見せた。これもまた、スターリンや中国共産党による「工作」のおかげだと言える。

日本人も、先の戦争について改めて「何が正義だったのか」を検証し直し、日本の誇りを取り戻さねばならない。(仁)

【関連書籍】

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