河野・村山談話は無効である 歴史問題を永遠に葬り去る 大川談話ー私案ー -2-

河野・村山談話は無効である 歴史問題を永遠に葬り去る 大川談話ー私案ー -2-

 

2013年9月号記事

 

ー歴史問題に終止符をPart1ー

 

対米戦争は正当な自衛権の行使だった

 

ここからは「大川談話」の背景にある、歴史問題を検証していく。15年にわたる大東亜戦争を戦った日本。どのように、戦争へと向かっていったのか。あるいは、そうせざるを得なかったのか。Part1ではその要因を、「対日経済封鎖」「日本人排斥運動」「共産主義の脅威」の3つの観点から検証した。

 

 

 

 

 

 

(1)日本を追い詰めた経済封鎖

 1929年に世界恐慌が始まると、植民地を多く持つ英仏などは、植民地を含めた自国連邦の外との貿易に高関税を課すなどのブロック経済で、不況克服を目指した。一方、経済圏を多く持たない日独伊は経済の立て直しが難しく、新たな経済圏の形成を狙わざるを得ない状況へと、追い込まれていった。

 日本は満州国の建国に続き、仏領インドシナにも進出する。アメリカなどは、日中戦争で中立を守らず中国側を支援しており、日本はその支援ルートの遮断を狙ったのだ。しかしこれをきっかけに、アメリカなどはABCD包囲網(注1)という経済封鎖を敷き、日本を追い詰める。石油など資源に乏しい日本にとってこれは致命的で、日本は開戦に踏み切らざるを得なくなった。アメリカの対日作戦の指揮を執ったマッカーサー元帥も戦後、「日本が戦争へと進んだ目的は、おおむね自衛のためだった」と議会で証言している。

 

(注1)Aはアメリカ(America)、B はイギリス(Britain)、Cは中国(China)、Dはオランダ(Dutch)のこと。

 

 

(2)人種差別による日本人排斥運動

 対米開戦には、人種問題も影響していた。ゴールド・ラッシュで押し寄せた中国系移民に続き、アメリカでは日本人の移民が、「白人の仕事を奪う」として問題になっていく。各州で土地規制などの排日移民法が成立し、1924年には日本からの移民を実質的に禁止する「絶対的排日移民法」が連邦議会で成立。同胞が不当な扱いを受けていることに対し、日本では対米開戦を支持する声が高まっていった。

 

 

(3)日本を戦争に引きずり込んだ共産主義者の工作

 こうして開戦へと追い込まれていった日本だが、直接のきっかけを作ったのは、共産主義者の工作だったという説がある。1937年に中華民国軍が日本軍を攻撃した上海事変で、日本は日中戦争へと引きずり込まれるが、攻撃を始めた中国軍の将軍はコミンテルン(注2)に通じていたと言われている。また、アメリカと最後まで戦争回避の交渉を行っていた日本は、「ハル・ノート」という最後通牒を受けて真珠湾攻撃を決意するが、これを起草した米政府高官もソ連の工作員だったことが分かっている。

 

(注2)ソ連が共産革命を輸出するために、1919年に立ち上げた国際組織。各国の共産党などを通じて、共産主義を広げた。

 

 

追い込まれた末の自衛戦争

 以上の要因を総合すると、追い込まれた日本は正当な自衛権の行使として、開戦に踏み切ったことが分かる。日本人排斥運動で国内の反米感情が高まっていた日本は、経済封鎖で追い詰められ、自衛の戦争に打って出ざるを得なかったのだ。共産主義者の工作も、その引き金を引く役を担った。アメリカでは、日米戦争を「日本のファシズムを倒すための戦い」だったとする見方もあるが、それは正しいのか。次のページで検証する。

 


 

ー歴史問題に終止符をPart2ー

 

日本は欧米の植民地支配や人種差別政策を打ち砕いた

 

日米戦争は新興国同士の“決勝戦"だった

日本は、植民地支配・人種差別政策の欧米と戦った

 

 

新興国同士がぶつかった日米戦争

 

 なぜ先の大戦で日本とアメリカが戦わなければいけなかったのか。その答えを出すには、両国の歴史を1860年代までさかのぼる必要がある。

 日本は、1868年、戊辰戦争という内戦を経て明治新政府を樹立。その後、ロシアの軍事的脅威をはね返すため、日清、日露の両戦争に勝ち、朝鮮半島や台湾など東アジアで一つの勢力圏をつくった。一方、人種問題で分裂しかけていたアメリカは、1861年からの南北戦争でそれを回避。その後、西にフロンティアを求めてハワイ、グアムを占領、東南アジアに触手を伸ばし、フィリピンを植民地にした。

 ここで重要なのは、日本が統治する台湾と、アメリカが統治するフィリピンの位置関係だ。当時、蒸気船で1日の距離であり、日米両国のこの地域への進出が、後の衝突を運命づけた。

 

 

「民主主義対ファシズムの戦い」ではなかった

 その後もアメリカは、ヨーロッパが主戦場となった第一次世界大戦に、連合国側として参戦。豊富な兵員と物資でドイツを追い詰め、圧倒的な存在感を示した。かたやアジアでは、日本がソ連の共産主義拡大を防ぐため、現在の中国東北部で満州国建国を後押し。アジアの盟主の地位を高めていた。

 19世紀後半、7つの海を支配した大英帝国の栄光に陰りが見える中で、日米両国は互いに国を一つにまとめて国力を伸ばし、東西の二大パワーとして台頭した。この2つの新興国による"決勝戦"が日米戦争であった(上図)。

 イギリス人の歴史家、デビッド・ウィリアムス氏も、「連合国のオーソドックスな歴史観では、客観的な見方ができない。アメリカは太平洋での覇権を求め、日欧がアジアに持つ勢力圏を消し去りたかった。このことがルーズベルト政権が日本に戦争を仕掛けた理由の一つ」と語る。

 つまり、「民主主義対ファシズムの戦い」「神と悪魔の戦い」というのは、アメリカ側の戦時プロパガンダにすぎない。そして日米戦争は、単なる欧米とアジアの新興国同士の「覇権戦争」ではない。それはこの地球上で、欧米によるアジアの植民地支配、人種差別政策がそのまま続いていいかどうかをめぐっての覇権戦争だった

 

 

先の大戦はアジアの同胞を解放するための聖戦だった

 

 欧米列強はアジアで、どのような植民地支配をしてきたのか。第二次大戦前、イギリス、フランス、オランダ、アメリカは東南アジアを支配。現地の人々を安い賃金で奴隷のように働かせ、輸出向けの作物を作らせ、利益を独占した。逆に、現地の産業や食糧生産を制限したため、アジア諸国では貧困と荒廃が進んだ。

 インドを支配したイギリスは、現地の人々に染料の藍やアヘンの原料となるケシなど高く売れる作物を作らせた。その影響でインド国内では、食糧の生産量が激減。何度も大規模な飢饉に見舞われ、19世紀中に2千万人以上が餓死したと言われている。

 また、植民地支配に出遅れたアメリカは1898年、フィリピンをスペインから独立させるという大義を掲げて米西戦争を戦い、勝利した。だが、フィリピンに統治権を渡さなかったため、これに怒った革命勢力との間で米比戦争が勃発。約60万人のフィリピン人が虐殺されたとされる。

 欧米の植民地支配の背景には、有色人種への差別があり、日本もその被害者だった。20世紀に入ると、アメリカの州や市では、日本人移民から帰化権や国籍を剥奪する動きが加速し、1924年、「絶対的排日移民法」が成立。ついにアメリカは国家として、日本人移民の排除を決めた。当時の日本は、世界恐慌のあおりを受け、国内に仕事が十分になく、満州など大陸進出に傾斜していかざるを得なくなった。

 

 

「人種差別撤廃」を日本は世界で初めて訴えた

 こうした白人優位の世界に挑んだのが、日本だった。1905年、日露戦争における日本の勝利は、アジア・アフリカで歓喜をもって迎えられた。インドの独立運動家チャンドラ・ボースは当時をこう振り返っている。

「一東洋民族である日本が、世界の強大国のロシアと戦い、これを大敗させた。このニュースは全インドに伝わり、興奮の波がインドを覆った。私たちインドの子供たちは、東郷元帥や乃木大将を敬慕し尊敬した」

 1919年には、国際連盟の規約を作るパリ会議の席上、日本の牧野伸顕全権代表が「人種差別の撤廃」を明記するよう提案。議長を務めるウィルソン米大統領は、「このような重大な問題は全会一致にすべきだ」と否決したが、国際会議の場で、明確に「人種差別の撤廃」を掲げたのは日本が初めてだった。自由の国・アメリカが黒人に公民権を与えたのが、それから約40年後であることを考えると、日本の先進性は際立っている。

 

 

大東亜戦争の後、アジア諸国は次々と独立を果たした

 

独立年 独立した国 支配していた国
1946年 フィリピン アメリカ
1947年 インド イギリス
1948年 ビルマ(ミャンマー) イギリス
1949年 インドネシア オランダ
1953年 ラオス フランス
1953年 カンボジア フランス
1954年 ベトナム フランス
1957年 マレーシア イギリス
1963年 シンガポール イギリス

 

 

「大戦中の日本は全占領地域で現地政府を樹立した」

 その日本が先の大戦で、アジアの解放を掲げながら、欧米の軍隊を蹴散らした。その姿を見たアジアの人々が立ち上がり、次々と植民地支配からの独立を勝ち取っていった(上表)。

 インドネシアでは、終戦後も日本兵約2千人がとどまって独立戦争に義勇軍として参加。現地の兵士と共に、植民地支配を続けようとするイギリス・オランダ軍と戦った。日本兵400人以上が戦死するが、同国は4年半にわたる激戦の末、350年間の植民地支配から独立を果たした。

 アメリカの東洋史専門家ヘレン・ミアーズはこう指摘する。

「歴史的にみてアジアの民衆を『奴隷にしていた』のは日本ではなく、私たちが同盟を結ぶヨーロッパの民主主義諸国であることを、ルーズベルトはいわないのだ。(中略)大戦中日本は、実際に、占領したすべての地域に現地『独立』政府を樹立していった」(『アメリカの鏡・日本』)

 

 

アメリカの大義を歪めた人種差別

 アメリカの側の「大義」も存在した。アメリカが勝利したことで、大戦後、「アメリカの世紀」が訪れた。西側諸国は、アメリカが奉ずる自由と民主主義の旗印の下、経済発展していった。日本もその恩恵を受けた国の一つだ。

 ただ、アメリカの大義を歪めたのは、やはり人種差別だった。日本に対しては、1945年3月の東京大空襲で、市街地を火の海にするため、わざわざ焼夷弾を使用し、一晩で市民10万人以上の命を奪った。8月にも広島、長崎に相次いで原子爆弾を落とし、それぞれ11万人、7万人の市民を殺害した。

 この3つの事案だけで、民間人の虐殺は30万人近くに及び、沖縄戦なども加えると死者はさらに増える。

 アメリカはこうした虐殺行為を正当化するために、東京裁判という"セレモニー"を行い、実際には存在しない「南京大虐殺」などを創り出し、「ファシズム体制の日本は悪い国だった」と、世界に向けて喧伝した。

東京裁判で、日本人被告全員の無罪を主張した、インドのパール判事。)

 だが、東京裁判で被告人全員の無罪を主張したインドのパール判事は、1952年、広島で行った講演でアメリカをこう批判している。

「広島、長崎に投下された原爆の口実は何であったか。日本は投下される何の理由があったか。当時すでに日本はソ連を通じて降伏の意思表示をしていたではないか。それにもかかわらず、この残虐な爆弾を"実験"として広島に投下した。同じ白人同士のドイツにではなくて日本にである。そこに人種的偏見はなかったか。しかもこの惨劇については、いまだ彼らの口から懺悔の言葉を聞いていない。彼らの手はまだ清められていない。こんな状態でどうして彼らと平和を語ることができるか」

 アメリカは人種差別思想を背景に、もう一つの大きな過ちを犯した。当時、ソ連が世界に"輸出"しようとしていた共産主義革命を放置・拡散させたのだ。

 1922年に誕生したソビエト連邦では、共産党の独裁体制の下で、国民の自由が奪われ、粛清に次ぐ粛清で数千万と言われる死者を出した。先の大戦でアメリカは、このソ連と手を組んで日本をはさみ撃ちし、戦争は終結。アメリカが日本を占領した。

 しかし、戦後、米ソ冷戦が始まり、中国は共産化した。これから見れば、アメリカが判断を誤ったことは明らかだ。戦前から日本が対峙したソ連や中国の共産勢力に対し、戦後はアメリカが代わりに軍事的に対決せざるを得なくなった。

 

 

世界中で容認されなくなった植民地支配や人種差別政策

 先の大戦を俯瞰すると、日米が戦った結果、欧米によるアジアの植民地支配と人種差別政策を終わらせるという日本の「大義」と、自由と民主主義の下での繁栄というアメリカの「大義」の両方が実現したことが分かる。

 どの国にも原則として、その国民をあの世から導く民族神が存在し、日米それぞれの神々が目指していたものを実現した。日本の高天原の神々の場合、敗戦という痛手を負いながら、「熱き思いの一部を実現」したということになる。

 20世紀半ば以降、植民地支配と人種差別政策が、基本的に世界中で容認されなくなったのは、日本が身を捨てて戦った結果だ。その意味で、大東亜戦争は「アジア同胞を解放するための聖戦」だった。

 

 

「日本はアジア解放のために戦った」

当時の日米トップも霊界から証言

 

日本は太平洋戦争でアジアの欧米植民地を解放するために戦った──。

このことは、幸福の科学の霊言でも明らかにされている。当時、国の舵取り

を担った日米のリーダーたちの、霊界からの証言を紹介する。

 

東條英機

「言っておくけれども、日本は、大日本帝国というのは、ファシズムではないのだ!『この国を守る』『このアジアを解放する』、そういう大義名分があってやっておったのだ。(中略)もちろん、『戦争に巻き込んだ』と言われたら、そうかもしらんが、それは結果であって、最初から、国民を苦しめるために戦争を起こしたわけではない」

 

近衞文麿

「彼(ルーズベルト)は、やはり、黄色人種を差別しておったのだ。(中略)一万年以上続く、この日本国民をバカにしておったのだ。それが俺は許せなかった」

「あのときは(中略)とにかく石油を止められたのだ。そして、『国内は、エネルギーを止められたら、もうもたない』と。だから、やむにやまれず開戦したのだ」

 


 

トルーマン

「(ドイツに原爆は)たぶん、落とさなかっただろう。もともと、計画に入ってなかったからね。ターゲットは、最初から日本ではあった」

「日本は、ヨーロッパが数百年の大航海時代以降につくったカルマを解放する運動を、『大東亜戦争』という言葉で言っていたんだろうけど、一部の真理があったことは事実だろうと思う」

 

F・ルーズベルト

「やはり、ドイツと日本、この二つとの覇権戦争だよ。だから、ヨーロッパの盟主になったものも、当然、次のライバルになるし、それから、アジアの盟主になったものもライバルになるので、『いずれ、両方とも戦いが起きる』と考えたわけだな」

 


 

 大東亜戦争当時の日米首脳の霊言は、日本が人種差別に打ち勝って欧米植民地を解放しようと戦ったことを示唆している。

 日米覇権戦争でもあったこの戦争で大きな鍵を握ったのは人種問題だ。日本人移民排斥が、日本が開戦する遠因になったほか、トルーマン霊が述べるように、黄色人種への人種差別は、アメリカが日本に原爆を投下する理由の一つになった。一方で東條英機霊が言うように、この戦争で日本はアジアの欧米植民地を解放すべく戦い、実際に戦後、各国は独立を果たしたのだ。

 

タグ: 2013年9月号記事  自虐史観  河野談話  村山談話  従軍慰安婦  南京大虐殺  太平洋戦争  憲法改正  

Menu

Language