社民党の福島瑞穂党首が25日夕、辞任を表明した。今回の参院選でわずか1議席にとどまり、衆参合わせて5議席となったことの責任を取った形だ。

社民党の前身である日本社会党は、戦後間もない1945年11月に結成され、左翼ブームの中で1947年には第一党となり片山哲内閣が誕生。しかし内部対立が絶えず、1年足らずで瓦解した。その後も野党第一党として勢力を保っていたが、1994年、自社さ連立政権ができると、村山富市首相が押し立てられた。

社会党にとっては悲願の首相誕生だったが、皮肉にも与党に入り、首相を立てたことが、社会党のピークでもあり崩壊の始まりだった。村山首相は就任直後の国会演説で、安保条約肯定、原発肯定、自衛隊合憲など、それまでの社会党の主張と正反対の宣言をした。その結果、民意は社会党から一気に離れ、内部対立も激化。選挙のたびに議席が激減した。

結局、1996年1月に村山内閣は総辞職、党名を社会民主党と改称した。しかし、旧社会党メンバーは民主党など他党に流れ、同年10月の衆院選ではわずか15議席と、小政党に一気に転落した。

福島氏が党首になったのは2003年。テレビ討論などで舌鋒鋭く与党を攻めたてるなど、孤軍奮闘していたが、選挙のたびに議席を減らし、かつての隆盛は見る影もなかった。

社会党、社民党の凋落ぶりを見ると、戦後日本の左翼勢力の「正体」が明らかになるにつれ、有権者が賢い選択をしていったことが分かる。

すでに1990年代初頭に旧ソ連が崩壊し、社会主義国が崩壊して、東西冷戦が終わったにもかかわらず、日本においてはバブル崩壊後の「失われた20年」で、社会主義の「亡霊」が付きまとっていた。その最後の結集が民主党による政権交代だったのだろう。

社会党・村山首相と同じく、民主党も鳩山・菅首相を生み出したことで「化けの皮」がはがれ、左翼リベラルの正体が明らかになった。

福島氏も、その本心は明らかな共産主義者であり、中国、北朝鮮と同質のものを持っていることが、守護霊インタビュー『そして誰もいなくなった―社民党 福島瑞穂党首へのレクイエム―』(大川隆法著)で白日の下に晒された。

同書のタイトル通り、霊言収録わずか2週間で、「レクイエム」を奏でることになった。そして「誰もいなくなる」時期も近いだろう。(仁)

【関連書籍】

幸福の科学出版 『そして誰もいなくなった公開霊言 社民党 福島瑞穂党首へのレクイエム』 大川隆法著

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2013年7月17日付本欄 福島瑞穂党首は"ラストエンペラー"? 社民党の目指す「やさしい社会」とは?

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