中東にアラブの春と呼ばれる民主化運動が起きてから2年がたつ。
この間、チュニジアのベンアリ大統領、エジプトのムバラク大統領、リビアのカダフィ大佐らの独裁政権が崩壊し、自由への道を一歩踏み出したかに見えた。
しかし同時に、シリアは混迷の度合いを強め、イエメンやイラクは政治的には不安定で、リビアの中央政府の権力は脆弱のままで、武装勢力がまだ地方を支配している。アル・カイーダもシリア、リビアの権力の空白を埋めつつある。
このような中で、ムスリム同胞団出身のモルシ大統領が選挙で選出されたエジプトは、11月のイスラエルとハマスの武力衝突においても、仲介役を果たし、中東と北アフリカの今後の動向を左右する大国ではある。
しかしそのエジプトが大国としての使命を果たせるのか、試金石となったのは、新憲法承認に関する国民投票である。エジプト政府は、12月25日、新憲法が国民投票の結果承認されたと発表しているが、女性の権利や「言論の自由」「信教の自由」「表現の自由」などが制限されることを憂慮する知識人や野党、リベラル派、人権活動家、コプト教徒(エジプトのキリスト教徒)などの幅広い層が反対を表明していた。
承認されたとはいえ、国民投票の投票率は32.9%と低いものであった。その理由としては、憲法制定から投票までの期間が短く、国民的議論がなされなかったこと、さらには、国民投票で反対票を投じてコプト派の仲間とみられるのを恐れた面もあったという。
ムバラク大統領時代には、エジプトの国民には政党結社の自由はなかった。このため既存の組織力の高いところが政治的成果を上げるのは当然のことだが、最も保守的なイスラム政党が、市民の自由を求める革命運動の果実を得たのは皮肉といえる。
革命後の政権内部でも、コプト派は要職を与えられておらず、依然イスラム法においては、一般国民とは異なる庇護民でしかない。これ自体革命の目指した自由、平等を保障する近代国家の理念と相反するものだ。
エジプトや北アフリカには、昨年9月の反米デモに際し、いわゆる西側諸国から受けてきた恩恵に気づくべきだとして、中道路線を求める声もあった。またイスラム教徒ではあるが、ムスリム同胞団に自己のアイデンティティがないと思っている人も半数はいるという。だが反米デモ後の10月の国連総会では、表現の自由に制限を設けるべきとするイスラム圏からの声も多くあった。法制化を進めれば、検閲や身柄拘束を正当化することにもなろう。
大川隆法総裁は、著書『この国を守り抜け』において、「現在、基本的に、世界の大きな流れとしては、『自由の方向を目指すという方針を堅持している国』と、『自由を閉ざす方向に努力している国』とが、やはりあるように感じます。『自由の方向に人々を解き放つと、国家が壊れるのではないか』と恐れている政治体制と、『自由にしても、国家は壊れない』と思っている政治体制とがあるのではないかと思うのです」と述べている。
エジプトを含め中東・アラブ諸国が、アラブの春の目標としていたものを獲得するには、「自由にしても国家は壊れない」と自信を持って自由の方向に舵を取るどうかが今後の行方を左右することになるだろう。(華)
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2012年2月号記事 大川隆法 未来への羅針盤 中東革命の霊的背景とは
http://www.the-liberty.com/article.php?item_id=3581
2012年10月21日付本欄 【海外レポート】イスラム色強めるエジプト現政権に、「第二の革命」求める市民の叫び