23日発売の週刊ポストの特集「完全解剖 日本の宗教 カネと実力 タブーに斬り込む!」の中で、宗教学者の島田裕巳氏が「人を救えなくなった現代宗教」というタイトルで宗教事情を語っている。

島田氏の発言を一部引用する。

「問題は、宗教の側が苦しむ人々に『救い』を与える手だてを持っていないことにある」

「大川隆法氏のカリスマ性によって信者を増やしてきた幸福の科学は、学園や政党を作るなど、ある意味で今も"元気"だが、そもそも幸福の科学が宗教と呼べるのかとの疑問もある」

「『救い』を提示することのできない宗教は、静かに衰退していくことを避けられないのではないか」

島田氏は「現代の宗教に救いがない」と盛んに言っているわけだが、そもそも同氏が「宗教における救済とは何か」を理解しているとは言いがたい。

以下は、島田氏がオウム真理教や麻原彰晃死刑囚について語ったり書いたりした内容だ。

  • 「日本の仏教は世俗化しているために『オウム』が特異な集団に見えるが、むしろ仏教の伝統を正しく受け継いでいる」(週刊朝日91年10月11日号)
  • 「彼は思っていた以上に理性的な人物だった」「どこか憎めないところがあった。おそらく、そういった教祖の飾らない姿が、信者には魅力なのだろう」「オウム真理教はまじめな修行者たちの集まりであり、なにも危険なところは感じられなかった」(91年11月『いま宗教に何が起こっているか』より)
  • 「(麻原氏について)宗教性という点ではかえって見るべきものがあるんじゃないかという感触も受けました」(92年7月『神サマのつごう』より)

オウム真理教によるサリン事件などの犯罪が明らかになった後でも、オウムの「宗教性」を擁護している。

「オウム真理教はこうした後期密教の教えを忠実に実行に移したとも言える」「出家に価値を置くことは、世俗の生活の価値を否定することにもつながる。それはある意味、仏教本来のあり方に近づいていったことを意味する」(2011年9月『現代にっぽん新宗教百科』より)

これら一連の発言から分かるのは、宗教による救いについてまったく理解していないということだ。オウム真理教が「仏教本来のあり方」ならば、殺人自体が救済になるというオウムの教義をそのまま受け入れることになってしまう。

日本の宗教学者の特徴として、(1)宗教の本質である神仏やあの世(霊界)を認めず、迷信と見なす。(2)価値中立の立場で、宗教の善悪の判別がつかない――の2点がある。これは東大文学部教授、岸本秀夫氏が確立した日本の宗教学のスタンスであるので、島田氏一人の責任ではない。ただ、島田氏は岸本氏の弟子筋として、忠実にこの2点を守り、オウム真理教を仏教的に正統な宗教だと判断してきた。

歴史上稀に見る犯罪集団に宗教性や救いを認め、その総括もできていない島田氏をわざわざ起用して、現代の宗教について語らせるメディアのほうの見識も、同時に問われるべきだろう。(織)

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