最近、またぞろ「宗教法人への課税強化」を言う週刊誌等が散見される。現政権の増税路線の一環だろうが、宗教法人への課税とは、世界の恥であることを知らねばならない。

週刊誌等の論調の多くは、「宗教法人が公益法人と同じく税の優遇を受けているが、本当に公益活動なのか」と言うが、このような論調自体が世界の恥である。

彼らマスコミや一部政治家、官僚の論理からすると、宗教の「公益」とは、人々の心のケアをするとか、被災者の心を慰めるとか、ボランティア活動をするぐらいしかイメージできないらしい。

だが、そもそも「宗教とは何か」から論じなければ話にならない。

宗教とは、「神仏の教えを伝える」ことである。神仏の教えとは、「この世とあの世を貫く正しい人生観、世界観」である。

これは現在、学校教育でも家庭でも社会でも教えてくれないし、現代の科学でもあの世の解明はできない。唯一、宗教のみがこれを教えてくれる。

また、宗教は本来、葬式だけでなく慰霊・鎮魂をして亡くなった人々の魂を救うことを担ってきた。大震災などで亡くなった人々の霊をきちんとあの世に送ることは、宗教以外にできない。これが「宗教が公益」である理由だ。

「宗教法人は公益法人か」と言っている人たちは、本音は「宗教は不要だ」と言いたいのだろう。神仏はいない、あの世もないのだから、宗教は不要だ。だから無くても困らない。しかし存在するなら、「商売」としては認めてやるから、その分税金を払え。端的に言えばそのような論理だ。

だが、宗教を信じる者にとっては、国家よりも神仏のほうが上であり、数々の税金を払った上で、お布施として自らの信仰心を差し出しているのだ。宗教に課税するとは、「二重取り」であり、なおかつ、尊い信者の信仰心に「穢れ」を持ちこむことにほかならない。

世界の歴史を見れば一目瞭然である。世界の文化文明は宗教と共にあった。人類の文化遺産や世界遺産を見れば、そのほとんどが宗教建築であることが分かる。それは日本の神社仏閣や国宝を見ても同様だ。

その宗教に対して「公益か」と問い、「税金を払え」と言うのは、世界標準から言えば文字通り「天に唾する」行為であり、世界の笑い者になる。

神仏の目から見れば、人間は神仏に創られた、神の子、仏の子である。自分の子供たちが「親などいない」「親なんか必要ない」と言っているなら、厳しく罰するはずだ。

日本人よ、信仰心を取り戻せ。宗教法人課税強化などすれば、天罰が下るだろう。(仁)

【関連記事】

2011年10月号記事 「なぜ宗教は非課税なの?」ガチンコ論争 中村うさぎ×ザ・リバティ編集長

http://www.the-liberty.com/article.php?item_id=2713

同 ガチンコ論争「お答え」編インタビュー(2)─200号記念総力特集「宗教」

http://www.the-liberty.com/article.php?item_id=2710

2012年4月号記事 天変地異から日本を救え(2)――天照大神、最後の警告「日本人よ、信仰心を取り戻せ」

http://www.the-liberty.com/article.php?item_id=3879